松任谷由美の『セシルの週末』という歌を初めて聴きました、と言ったら、十くらい年上の方に驚かれましたが、微妙に世代ではないのですよね。

たまたまスピーカーから流れてきたのですが、イントロからよい感じの曲だなぁ、と思ってぼんやり耳を傾けていたら、惹き込まれてしまいました。

ちょぴっとだけワルい、でもきっと可憐な少女セシル。初めて自分を本気で叱ってくれた人にプロポーズされて、素直な女性へと変わっていく。

まるで映画を見ているようにありありと場面が浮かんで、短い歌詞の中でよくこんなに世界が描けるなぁ、とつい嫉妬したくなるほど。

歌の終わりにぽろっと、

「もう愛しかいらない」

という歌詞が出てきたとき、
大げさでもなく、心の声が漏れたかのように歌うので、思わずぐっときました。


もう愛しかいらない。


ほんとにそうですよね。



かつて、あるカルマのあったお相手に、けっこうたくさんの人がいる前で、遠回しに「お前のやったことは愛じゃないぞ」と突きつけられたことがありました。

それを聞いた私は、とても率直に言うと、「そういうアンタだって全然愛じゃねーよ」と思いました。

ええ、自分でも嫌になるほど、気が強いんです、私は。笑

そしてどうしても堪えきれず、その話をスピリチュアルの学びの師にしてしまいました。私とあの人と一体どっちが正しいんですかい、という勢いで。

すると師はさくっと一言、

「少なくとも、今それを言っている君が愛じゃないよね」

とおっしゃいました。

「その言葉で、自分や誰かがほっとしたり、ゆるんだり、幸せな気持ちになったりはしないよね?」

当時の私は、ぐぬぬ、となって、たしかに今この話をしている私の表情は怒りと恨みに黒く燃えて、ほっとしたりゆるんだりする世界とは対極にいる。とても愛じゃない。わかってる。でもでも、だって、あの人だって・・・と思っていたものです。


それが時を経て、最近のある雪降る日、ふと思ったのです。


ああ、あの時の私って、ほんとに愛じゃなかったな、と。笑


あの時、師は最後まで、相手のことについては何も言わなかった。ただその瞬間、私が愛なのか、愛じゃないのか、それだけを問われていた。

まあ、結論からすれば、どっちもちっとも愛じゃなかったんですけどね。笑

愛じゃない者どうしで戦っても、たとえそれでどんなに勝ったように見えて、一時的に気分が晴れたとしても、その結果が愛になることは絶対にない。

言い換えれば、その先にたくさんの癒しや豊かさや、心の静寂や穏やかさ、仲間や愛しい存在との触れ合い、笑顔あふれる素晴らしい未来が待っていることはないんですよね。本当に。

でも、私たちの世界は、本当にうんざりするほど長いことその戦いをやってきたではないですか。その争いの先に勝利の美酒や甘露があると信じて(あるいは信じこまされて)。

でも、もういいよねー、と、2024年の私は思うわけです。


ただ、愛でいること。

相手という鏡がなにを映し出そうが関係なく、自分自身が、今この時、ただただ、愛でいること。

愛でいるってなんだかよくわからない感じもするけれど、「自分や誰かがほっとしたり、ゆるんだり、幸せな気持ちになったり」するようなエネルギーでいる、ってことなのだと私は思っています。

ユーミンはとっくの昔に気づいていたのかな。だとしたらすごいな、さすがだな(どうかな笑)。『セシルの週末』を聴きながら、そっちの世界を選ぼう、もうそれでいい、と思う雪の日なのでした。









 
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