不思議な夢を見ました。
幾何学模様のような、はたまたトランプタワーのような、素晴らしく絶妙な均衡の上に成り立っている精巧なオブジェのようなものを眺めながら、私と誰かが二人で話をしています。
「秩序って、美しいものですね」
どちらからともなく言うと、
「神様のレシピのようですね。」
と、どちらかが答えました。
神様のレシピ。
そうはっきりと聞こえました。
ああ、懐かしい響き。
でも本当にそのとおりだなあ。
そう思いながら目が覚めました。
起きてからもしばらくその響きの余韻を感じていました。
私が考えた比喩、だったら格好いいのですが・・・笑
この言葉をきっと聞いたことがある方もいるでしょう。
伊坂幸太郎の小説『オーデュボンの祈り』に出てくる表現ですが、他の作品にも何度か登場していて、伊坂ファンにはお馴染みのフレーズ、なはずです。
学生の頃に相当はまって、今でも好きですが、久しく読んでいなかったんだけどな・・・。
「未来は神様のレシピで決まる」
そんな言葉が小説の中に出てきます。
未来が見えるという喋るカカシ、優午。
どうやって未来を知るかについて、果物とジューサーの喩えを使って説明してくれるシーンがあります。
ジューサーに果物を入れると、ジュースができる。
バナナを入れるとバナナジュース、みかんを入れるとみかんジュース。そういう規則がある。何を入れたら何ができるのか、それが決まっている。
ある時にとても美味しいジュースができたとする。材料を混ぜたらとても美味しいジュースになった。
だから別の日にもう一度同じジュースを作ろうとしたのに、上手くいかなかった。材料が足りなかったか、量が少なかったか、まったく似ても似つかない飲み物になった。
材料や環境がほんの少し違うだけで、まったく違うジュースができる。
同じ結果を得るためには、すべての材料を、環境を、誤差ゼロで用意しなくてはいけない。不可能に近い。決定論なのに予測不可能。
要するに、条件が少し違えば、結果はまったく別のものになる。カカシの優午はいつも渡り鳥たちからたくさんの情報をもらっている。だから、ジューサーに入れればどんなジュースができるのか、人よりも予測がつく。
「神様のレシピにはとても多くの材料が並んでいて、贅沢です」
このジューサーの話は、カオス理論という科学理論の喩えだそうで、当時は今ひとつ理解できなかった、、正直いま読み返しても、、笑
でも、最後に優午が呟くこの台詞は、なんだか素敵な響きだなあ、と思ったものでした。
今あらためて感じてみると。
こういう材料を入れてこういう手順で作ればこんな料理が出来上がる。そういう一定の秩序、ルールがレシピだとすると、それをどんな具合に、何のために、どんな気持ちで作り上げていくのかは私たちの自由に任されている、ともとれるような気がします。
そして、結局はそれすらも丸ごと神様のレシピのうちにあると。
さあ、このレシピの中にあるものから何でも自由に作っていいよ。
もしもそう言われたら、私は何をこの世界に作っていこうか。
その夢を見てからしばし思い続けています。
どうせならば、張り詰めた糸がゆるむように、ふわっと楽になるような、何もかもを明るくあたたかく溶かしてしまうような、みんながハッとするほど美しい笑顔になれるような何かがいいなあ。
と、思ったりしました。
あなたはどんなものを作りたいですか?
きっと、ひとり一人けっこう違うんじゃないかな、と思うんですよね。
あなたの御魂からの望みが、いつも叶いますように。
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