会うことは目で愛し合うこと、会わずにいることは魂で愛し合うこと。

 

野村一彦という人物をご存知でしょうか。

父親は、「銭形平次」の作者で、音楽評論家あらえびすで知られた野村胡堂です。

胡堂は岩手県出身です。

 

 

野村一彦は、東京帝国大学(東京大学)在学中に21歳という若さで、腎臓結核のために亡くなりました。

 

一彦は、友人の妹と恋仲になります。

その女性の名前は前田美恵子。

 

二人は互いに惹かれ合うのですが、面と向かってじっくり言葉を交わす機会もないまま、一彦は最期を迎えました。

 

しかし、一彦の手記の中には、美恵子に対する深い愛が文学的かつ哲学的に綴られています。

美恵子さんは自分とはあまりに違った世界に居る。そして僕にはふさわしくない程澄んだ心の持主を愛する事は、たとえ自分の心の中で、ひそかに愛するのでも冒涜的な事だと思いはしたが、僕は知らない間に美恵子さんを生きて行く目的にして居た。

 

病弱であった一彦は、自らの死を見据えた上で美恵子に対する愛を語っています。

愛という物は、男の人にあっては自分が生きてさえ居られればあとの苦しみならどんな事でも厭わないものだと去年には考えて居た。つまり、愛する人の為にも死ぬ事だけはこまると思って居た。けれども、今では何だか、美恵ちゃんの為とあらば死ぬ事も又、出来るように思う。

Wahrlich!(本当に、まことに)

死は愛の途絶ではなかった。この世で結婚しないでも天国では一緒で居られるなら死も又恐ろしくはない。

野村一彦『会うことは目で愛し合うこと、合わずにいることは魂で愛し合うこと。』

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父親譲りの芸術的センスに恵まれ、日本の最高学府で学んでいた一彦の死は、家族や友人にとってさぞかし悔やまれるものであったことでしょう。

繊細で優しさに満ちあふれた一彦の手記は、人を愛することの尊さを感じさせます。

 

前田美恵子も、一彦が亡くなったとき「一生結婚しないで生きていく」と語っていたそうです。一彦の死から二ヶ月後、美恵子はハンセン病の療養所「多摩全生園」を訪れたことで人生が大きく変わりました。

 

彼女は精神科医となり、やがてハンセン病患者の診療をすることになりました。

結婚後の苗字は神谷。

 

そう、「こころの旅」「生きがいについて」の著者でもある神谷美恵子です。

彼女の「しかし人生はまだ長い」という言葉は、私にとっての言薬であることは以前のブログでもご紹介しました。

 

 

 

私の家内は岩手県出身で、旧姓は野村です。

実は、家内は野村胡堂の末裔です。

遠戚と神谷美恵子先生にご縁があったことを知った時には、とても嬉しい思いがしました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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