さて、四世宮古路薗八と申します。
四代目と云っても、先代は250年以上前の人ですので直接の縁はありません。
初代薗八は宮薗節の創始者であります。
宮薗節との縁は、研究者でありました鈴木正八先生に紹介いただいた京都の宮薗千宗太夫師(常磐津一佐太夫師)にしばらく指導を受けました。演奏を主とする芸人ではありません。どちらかと云えば、研究が主体であります。
そんなことで、いろいろな縁を得て現在四世薗八を名乗っております。
邦楽は、十代後半に最初に春日の小唄から始めました。春日豊五富人という名取になりましたが、すっかり忘れています。その後、常磐津文字宏師匠に常磐津節を、岡本文弥師匠に新内節を、菊原初子師匠に地唄を習いました。
新内では岡本春太夫と云う名で師匠の前座を務めたこともありました。
三味線が好きで芸事を始めましたが、大学卒業時に文楽の三味線弾きになりたいと思いましたが、当時の鶴澤燕三(五代)師匠に「そんな中年から太(文楽三味線)を始めても一人前にはなれん」と云われて諦めました。
さては置いて、お話に入りましょう。
学生時代に道頓堀の古本屋で買った戦前の画集の話です。いわゆる私家版で戦前では珍しくカラーも何枚か含まれていました。芦屋辺りのお嬢様が描いた絵が遺稿集の形で閉じられていました。その作者がモノクロ写真でしたがすごい美形で、それに釣られて大枚三千円で購入しました。
購入してしばらくして、肩や背中がひどく凝るようになりました。サロンパスも鍼鍼や上六の無量寺の灸も効き目がありません。そうこうしている内に体調不良で学校に行くのも、今里の稽古所に行くのもやっとの毎日が続きました。
稽古所で私の体調不良を心配した七十代の同行から、その様子は悪い霊が憑いているようだと云われて、画集のことを思い出しました。画集のことを話すと棄てるのではなく、転売するよう指示されました。おそらく画集が霊の棲家となっていて次の持ち主が現れれば、私から離れるかもしれないとのことでした。
翌日、重い体を引きずりながら上六まで歩いて、馴染みの古本屋で買値の一割ほどで手放すことができました。その後一週間ほどして嘘のように肩や背中の凝りから解放されました。
ひと月ほどして上六の古本屋に出向いて店主に聞くと、「ああ、あの画集はすぐに売れたで」とのことでした。
どこかの誰かにあの霊はまた憑りついているのだろうかと思いましたが、そうするしかなかったのだと自身に言い聞かせました。
ずっと後で気付いたことなのですが、実は霊は私から離れることなく憑りついたままでいたのでした。
そうなんです、殺すことなく今も私に憑いていて、人生を操っているんです。時に悪霊となり、時に善霊となって傍にあります。もうどうしようも仕方のなきことなのであります。