心サポートセンターKotodamaです。
今日は実例を話しますね。今でも想いだすとウルウルします。埼玉県の当時の公立受験は、今でこそ一回、一発勝負ですが何年か前は前期と後期と二回のチャンスがありました。
私は、4教室の統括ということもあり、精神的に不安定な子、最後にひと押しする子など、出来るだけ私立公立も含め一人一回は入試当日に校門に立ち、最後に声を掛けてやりたいと想い車を飛ばし、学校をはしごすることも、よくありました。それでも、みんなには、届けることが出来ず、講師たちに一番逢える主要駅に立ってもらったりもしました。入試日が大体重なるので、手分けをして応援に行くのです。
私は入試前日、すべての生徒に電話を必ず入れていました。ある男子生徒です。彼は前期で落ちてしまっていて、志望校を下げたのですが、今度は下げた志望校の倍率が一次よりも上がり不安でたまらなくなっていました。とても性格の優しい子で、兄弟の中でいつも我慢している子でした。何とかその子の応援に行ってやりたいと想ったのですが、また一人ほっとけない子がいて、その子は他の講師たちではフォローできず私しかいなかったのです。毎年どこの学校に行くか頭を悩ませるのですが、後にも先にもその時が私が二人いたらとつくづく想いました。
私は、先生と言う前に一人の人として生徒と向き合っているので、本気で叱るし笑うし泣くし、謝るしで、生徒たちから時として心配されることもありました。それが今でも忘れられないことです。前期で落ちてしまった子の入試応援に何とか行ってやりたくて、教室から電話をしていて家を出る時間など確認をしていて何とか行けるか調整していても厳しく「先生大丈夫だから!」と言われ、またそれが健気で嬉しくて涙声で対応していたら、近くでやり取りを聴いていた、やんちゃな生徒が「先生!俺が行くから大丈夫だよ!俺が行ってやる」その子は私立単願で決まっていた子です。日ごろ私の手を焼かす子です。その子が、私の対応を見かねて「先生、俺が朝行って先生のメッセージ届けるから」もう号泣でした。電話口で「○○が行ってくれるってぇ」もうびえーって感じでしたね。
その彼は、公立の壁は厳しく私立に行きました。しかし、高校入学してすぐ、彼が報告に来て「先生!俺100点取ったよ!俺落ちて良かったよ。今の私立でよかった」初めての高校のテスト。レベル的には下位の私立で中学の時に彼は100点など取ったことが無く、それを境に自信が付き成績がどんどん上がり上位になり、大学なんてと言ってた彼が大学生になり、年が明けたから二年前、成人式を迎えました。
私が言いたいこと。
子供の可能性、いつどんな形で表すのか?!どんな子供も持っている。今表れていない子供も、それを表すタイミングが、周りの大人が思っている時期と少し違うだけ。子供の力を信じてあげてくださいな!
ではまた👋