やんちゃくん  事例 | kotodamaの心理カウンセラーのブログ

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今日は世間が俗にいう、やんちゃ君の話を話しをしますね私の忘れられない生徒NO1です。ある年の11月の中旬、中3生のやんちゃ君は、私が責任者でもあった学習塾に父親とともに、来塾しました。見るからに、ズボンは腰パン、学ランは勿論第二ボタンくらいまで外してたと想います。 補導経験もある子でした中学校の先生も手をやき、学校も脱走する子でした。父子家庭で、学校にも何度も呼び出されていました。そんな子の入塾に、経営者である社長は私に入塾を断るように言いました。しかし私は、社長の反対を押切入塾させました。私と彼との戦いが始まりました。


私がやんちゃ君を受け入れたのは、彼の目でした。妙に話をするたびに彼も心を開いてくれ、私には母親の話をすることもありました。時を同じくして私の父が危篤状態になり、父一人子一人の私としては、病院と塾とやんちゃ君を受け入れた以上、仕事も休めませんでした。「ほかにも生徒がいるだろう」と社長からは言われてしまい。父親が11月末に亡くなった際も、忌引き2日喪服で会社に行き、やんちゃくんを見守っていました。冬期講習に入り、手ぶらで初日は来て、私はまず来てくれたことを、褒め私も喜び、次の日はシャーペン、また次の日は消しゴムと、そんな状態で入試まで流れました。


面談では、父親からアルコールの匂いがして、何度も父親にも注意と、塾への出欠確認の電話でのやり取りを徹底的にしました。入試が近づき、やんちゃ君もスイッチが入り勉強し始めましたが、私立は残念な結果になり公立一本の勝負となりました。他の生徒達を置き去りにすることなく、私はやんちゃくんの本気に賭けました。公立入試応援、私は校門で彼を待ちました。真冬の寒い中、自転車で吐く息が真っ白で手は赤く私は「がんばれよ」とだけ伝えました。筆記は少し手ごたえがあったようで、面接試験を残すのみでした。私は彼に、「今までで誰かのために本気で何かをやったことがあるか」と聴き、「とにかく心配かけた親のために本気で頑張れ」と送り出しました。発表の朝教室で待っていると、やんちゃ君が報告にきて照れくさそうに「受かりました」教室全体の仲間たちもやんちゃ君を応援していて、私は号泣でした。握手!


高校入学してから5月のある日、父親がスーツで、アルコールの匂いもさせず挨拶に来てくれました。「息子が手紙を書いてくれたと」今までありがとう、社長になる。やんちゃ君のつたない字で。父親は私に見せたいと。私は、涙をこらえ父親の後ろ姿が見えなくなるまで頭を下げ見送りました。父親の背中が今でも忘れません。素敵なお父さんでした。やんちゃ君もすでに成人です。私の忘れられない人生の宝物の5か月間でした。  


ではまた👋