地球の科学は、もともと古代ギリシアのプラトンに始まり、アリストテレスで完成を見る形而上学にもとづいています。
それが直接的に近代科学に影響を与えるには、デカルト、そしてカントに俟たねばならないのですが。それらは主観と客観との二元対立を根底とする、自然を支配すべき対象と見なす世界観を創り上げました。


デカルトが相手にできたのは、「延長せる実体」と空間を規定したことにうかがえるように、目に見える物理次元の世界であり、それも「我思う、ゆえに我あり(コギト エルゴスム)」といった思考の産物にすぎません。
カントも「予め考え入れておいた(ヒナイン デンケン)」答えを導き出すやり方をもって二等辺三角形の定義などが成立していることを明らかにしているように、所詮、人間の肉体頭脳で知り得る「知」というものしか想定しておらず、これこそは限界といわざるをえません。


そのことを鋭く指摘し、究明してみせたのが、20世紀の巨星といわれたハイデッガーという哲学者でした。彼によれば、カントにより集大成された西洋の哲学の真理の概念は、結局、「認識と対象の一致」にすぎず、これは「真正性(リヒティッヒカイト)」というべきだとしています。
そして、本来の真理というのは、じつはソクラテス以前のギリシアの哲学者たちが考えていたものに近く、「隠れなさ(アレテイアというギリシア語)」ともいうべきものであるといっています。
これは人間の肉体頭脳を超えています。


何でもわかると思うところに傲慢さがあり、自然を克服すべき対象と考えたところに、今日の科学技術の誤りがあり、地球環境破壊や核戦争の脅威などを招いていることはいうまでもないことです。


ところで、宇宙子科学というのは、まさに近代科学とは絶対に交わらない、地球の常識をはるかに超えるものです。
五井先生は、昨夜紹介の昭和37年10月の白光誌の中で、「神のみ
心から生まれる宇宙科学」という見出しの文章でつぎのように説明しています。(のちに宇宙子科学と呼ばれますが、当時は宇宙科学と呼ばれていたようです)


 宇宙科学というものは、宇宙神のみ心からそのまま現れており
ますので、こちらが、宇宙神のみ心に波長を合わせていなけれ
ば、宇宙人の教えを理解することができないのです。
 地球科学の場合には、前人がやってきた道を土台にして、
学問知識を下にして、現われの側から、機械器具をもって、次第
に奥深く、宇宙の本質にむかって突き進んでゆくわけで、先人の
学問という土台がそこにあるわけです。そしてあくまでも、現われ
の面から、底へ底へ奥へ奥へと進んでゆくわけなのですが、宇宙
科学の場合は、先ず、心のひびき、自分たちの出す波動を正しく

しておくことが為されねばなりません。想いを空又は空に近い状態
にしておいて、そして宇宙人の講義を聞くという段取りになるの
であります。
 もう最初のはじまりが、宗教的なのです。祈りにはじまって、知識
を吸収し、そして、祈りに終わる、というのが、宇宙科学の在り方
なのです。

 宇宙科学の勉強をしていますと、実に堂々と神のみ心を実践して
いまして、何とも云えないよい気持です。宇宙人方は、みんな大
調和した心の持ち主で、自ずと宇宙神のみ心そのままを行じてい
るのです。
 宇宙科学というのは、地球科学で判明しております、電子や中間子
や陽子という微粒子より十数段階も微妙な存在である宇宙子という
ものの説明からはじまって、宇宙神のみ心が、科学的にはどういう
風にして、人間精神となったり原子となったりするか、宇宙という
ものは、どういう構造になっているか等々地球科学者たちの是非知

りたいようなことを、序々に図解入りで説明してくれているのです。
 私たちの宇宙科学研究グループには、西洋医学のお医者さんも漢

方医の人も、パイロットも物理学専攻の人もいるのですが、皆精神的
に宗教を体得した人々で、心にあまり夾雑物の無い人々です。
 あまり神秘力のみに興味をもっていたり、雑念の多い人たちは、そう
したまじり気を取って、純粋な宗教心にしてからメンバーに加えるこ
とにしているのです。
 宇宙人は、波動を非常に重要視していますので、各自の心の在り方というのが、根本的な問題となるのです。尤も宇宙科学というのは波動
学と云ってもよいくらい、波動の説明があるのです。
 地球科学でも、微粒子の先きは波動だと云っていますが、宇宙科学の宇宙子というものも波動の集合なのです。ただこの宇宙子は、地球科学の電子のように物質的と思われているものより、はるかに高次の存在で、 生命波動そのものの現われなのであります。
 宇宙子はその活動の根源を宇宙核というものから得ているのですが、この宇宙核は、宇宙神のみ心そのまま第一段階の働きにつけられた

名称のようであります。
 すべて生き生きとした生命の働きであり、こうした生命の働きが一糸乱れぬ科学的働きを為して、この宇宙を存在せしめているのであります。 地球
科学の宇宙船はロケットの推進力によって打ち上げられていますが、宇宙科学によってつくられた空飛ぶ円盤は、波動の拠点と拠点との融合調和によって、瞬時にして目的地に現われることができるのです。
 この地球界で考える押し上げる力というような力を超えた、波動の流れに
乗って自由自在に現われたり消えたり、止まったりするのであります。
 宗教の極意も神との一体化による自由自在心にあるので、両者は全く一致
した心をもっているのであります。


(1962年10月号『白光』「宗教と科学の一致点」p.8-p.11)


 「地球科学の宇宙船はロケットの推進力によって打ち上げられていますが、宇宙科学によってつくられた空飛ぶ円盤は、波動の拠点と拠点との融合調和によって、瞬時にして目的地に現われることができるのです」という箇所に見られる喩えは、別のところでは、地を蹴って発射されるロケットと、ラジオないしテレビ放送の電波における周波数とチャンネルとなっていて、ここは私が初めて宇宙子科学というものの本質がわかったと思ったとき、大いに役立ちました。

 進んだ星の科学とは、健康被害も環境破壊も起こさない、調和した科学なのです。

 そして、村田正雄先生の本を読むと、円盤は、「心波」により飛ぶと書いてあり、その機体の材質はふつうに考えられているような無機的な金属質ではなく、有機体であるとあります。

 これは、心の世界と物質の世界、内なる世界と外なる世界が完全につながり、一致し、調和した高い次元の科学であることを如実に物語るものです。

 祈りが基本であり、すべての叡智は祈りにより授かるという宇宙科学の原点とも符合します。

 こうして、私たちは、今日の科学も宗教も忘れてしまった大事な事柄を思い出すことができるのです。