人間の知恵が発達し、知恵を使って、科学が発達した。
ところが物質偏重の科学だから、物質の肉体を保護するために、
お互いに自分たちを保護するために、お互いが相手をやっつけ
る形になって科学兵器を作りはじめた。
せっかくの原子力の開発も爆弾のほうにもっていってしまう。
水爆の威力のすごいのが出来ていますから、やがて、それを使わなければおさまらないような事態になれば、一遍で地球世界
はダメになります。
そういうふうに、神を離れた誤てる想念というのは、本当は神様のひびきを現すための肉体なのに、その神霊のひびきを忘れ
てしまって、肉体だけを別に離して考えるから、生命はそこにだ
んだん枯渇してゆきます。
生命エネルギーがなくなってきます。やがては滅びるということになります。それは天変地変で滅びるか、戦争で滅びるか、どち
らにしても生命エネルギーがなくなってくるから、枯れてしまうわけです。
それでは大変であると思われて、肉体人間が出来た始めから、直霊が分かれて守護神になって、陰になり、日向になりながら守ったわけです。始めのうちはちゃんと守護神が姿を現わして、人間と話し合って事
を運んだりしたことがあるんです。それは何故かというと、物質
に慣れないで神霊のひびきそのままでいたから、お互いにわかり
合ったわけです。
物質化がだんだん増えて来て、物質波動のほうがだんだん濃厚になってくると、神霊のひびきがだんだん忘れられていった。
そして物質波動の虜になってしまって、神なんかいらないという形
になって来た。唯物論になって来たわけですね。
唯物論になると、肉体が主ですから、肉体の文明文化が栄えます。
肉体生活が便利なことを図り、肉体が安易であること、肉体が喜ぶことばかり考えますから、肉体が喜ぶような科学が出てきて、便利になってきた。便利になると同時に、ますます物質偏重になりますから、神様のような目に見えないひびきを忘れてしまってきた。
それで今日になってきた。
『我を極める』第一章 自我と大我 P.22
肉体の死に際して、霊界に移行するまでのあいだに、しばらくは粗い波動の世界を濃厚に体験することになります。このときに、生前の生活で十分に浄化して、神霊の波動に感応できる割合が多いと、早く粗い波動の層を通過できます。
逆に物質や肉体にまつわる欲望の想念をもっていればいるほど、それだけ亡くなってからの生活はたいへんになるようです。これは「神智学の森 アストラル体」の「死と欲望エレメンタル」 というタイトルで書いてあるので、参考にしてください。
それにしても、物質偏重から神霊のひびきがわかる時代へと、動いてゆくことが今から楽しみですね。