死ぬということは、「真我がその衣または鞘(さや)をぬぐ過程のこと」で、肉体、エーテル複体、アストラル体までもふり捨ててゆくことです。

 したがって、苦しい長患いであっても、死は何らの苦痛もともなわずに、死そのものには何らの苦痛もないということです。

長くなりますが、しばらく「神智学大要」を引用します。




さていよいよ死の瞬間がくると、たとえそれが急死であっても、今「死に行く人」は、自分の過去の全生活をどんな細かなことまでもこと細かに、次々と見せつけられることになります。

今生における因果の鎖全体を一瞬にして了徳する。(否、了得させられるといった方がより正確であろう- 訳者)かくして彼は今や一切の追従や自己欺瞞の飾りを剥ぎ取られ、在るがままの自己自身の相をさとる。

今や辞し去ろうとする舞台を見下ろしながら、彼は自己自身の生涯を一人の観客として読み取る。死の瞬間の直後の意識状態は普通は夢見心地の、おだやかなものである。ある時間無意識の状態がつづく場合もあるが、それもホンの瞬間にすぎない。もっとも人によってはそれが数秒であったり、数時間であったり、時には数日、数週間にわたる場合もあるにはある。

(『神智学大要』第二巻アストラル体 第12章 死と欲望エレメンタルより)


 私たちはこの人生において起こる諸々の出来事にたいして、どうしても納得がゆかない、なぜそんなことが起きたのだろうかと訝ることがあります。
 それが、死ぬ瞬間には、完全にわかってしまうというのです。
 興味深いのは、死ぬと肉体と引きあっているアストラル体がしばらくは肉体の姿形を保つということだけでなく、死の直後にアストラル体が「再編」させられるということです。

 これは「欲望エレメンタル」と言われる存在が、その盲目的な意志によって、自らを存続させようとすることから起きます。
 彼らの目的は、物質(鉱物)化すること、つまり形なきものから形あるものになろうとすることです。

 では、どんなふうに「再編」が行われるのでしょうか。



 アストラル体の大部分がエレメンタル髄質より成ることはすでに説明したとおりである(本書第一章参照-筆者註:○○を参照)。この髄質は知恵はないが生きつづけている。
 しばらくの間それはアストラル髄質の全体の塊(マス)より切り離されている。しかし、それは本能的に、盲目的に、従って理性もなしに、自分自身の目的を求め、すぐれた才能といってもよいほどの手練手管をもってその欲望するものを手に入れ、それ自身の進化をとげようとするものである。
 この欲望髄質にとっての進化とは「物質」になることであり、その目的は鉱物のモナドとなることである。したがって生命におけるその目的はできるだけ物質界に近づくことであり、荒々しい波動をできるだけ多く体験することである。
 それは仮の棲家としてのアストラル体をまとっている人間その者については何も知らないし、また知ることもできない。
 それはただ自分という一個の生命を維持しようと欲望するだけで、その維持は人間とつながることによってのみできるのである。


 それは自分が寄生している人間の低位精神という存在を意識しており、自分ができるだけ多くの精神質料と絡まれば絡まるほど、自分のアストラル寿命が長くなるのを知っている。いよいよ肉体が死亡するとなると、自分の個生命の寿命が限られ、そのうえ自分が寄生している主人公のアストラル体の死[それは高次のメンタル界への移行を意味する]も遅かれ早かれやってくることを知っているので、主人公のアストラル体をできるだけ長く生き延びさせるために、この欲望髄質はアストラル体の質料を並べ換え、一番粗い方を外側にして、同心円的な輪や殻にしてしまう。
  一番粗い質料は摩擦に対しては一番長く耐えるので、欲望髄質自身の側からすれば、これはきわめて巧妙な手である。
このようにして再編成したアストラル体をヤータナーすなわち苦悩体といい、圧倒的に粗い質料の多い極悪人の場合はドゥルワムすなわち強力体(ごうりきたい)という。


アストラル体の再編成は肉体をかこんでいる卵体の表面上でおきるのではなく、エーテル体の表面上でおきる。その結果普通アストラル体内で行なわれるアストラル質料の滞りなき完全な環流が妨げられ、そのうえ、その人は自分のアストラル体の一番外側の粗雑な層が受け取りうる波動にだけしか感応しえないことになる。

かくしてその人は、いわばアストラル質料の箱に閉じこめられて、一番下の、しかも一番粗雑な界層のことだけしか見聞しえなくなる。実際には高度の影響や美しい想念形態の中に生きておりながら、それに反応するはずのアストラル体の粒子が前述のように閉じこめられているため、

ほとんどその存在を意識しなくなるのである。

したがってまた、彼は他人のアストラル体に対してもその粗い質量だけにしか感じないし、自分自身が前述のように制約されていることもまったく知らないので、相手をイヤな奴だと思い込みがちとなる。なぜなら彼は 相手のイヤな部分にしか感応しえないからである。

最低、最悪のものしか見、かつ、感じえないのであるから、彼にとっては周囲の人がみんな悪徳の怪物としか思えない。そうなると自分の今いるアストラル界を地獄と思うようになるのに何の不思議もない。


 欲望エレメンタルがアストラル体を再編成しても、卵形内の形はいささかの影響も受けず、依然としてすぐに見分けられるが、そのうち自然に形全体に変化が生じ、時がたつとともに形はいくらか薄くなり、その外見も一層「霊的」になる。(中略)時の経過とともに一番外側の殻、いいかえれば輪が崩壊し、内なる人間はアストラル界層の一段高い層の波動に感応しうるようになる。こうして彼は次の亜層へと上昇する。

各亜層にとどまる期間はもちろん、彼のアストラル体内にある当該

亜層に属する資料の量と活動によってきまる。