人間の本体はこの物質界にある肉体ではなくて、幽界、霊界と上に昇って行った神界に常にいる光輝く存在であって、これこそ神のみこころと一体である自己なんだということは、五井先生がくり返し話されていたことです。


ただ、肉体をもつと、本来の無限の力が100%は発揮できなくなってしまう。
仮に守護神が生まれ変わって人類を救うために菩薩となって人間の肉体に入ってきたとします。すると、肉体の遅鈍な波動の衣をまとっただけで、出せる力が20-30%に減ってしまいます。そこで、何とか100%に近づけるために、祈りが必要になるというわけでした。


 どういうのがお祈りかというと、自分が本当はまあ億万の力がある。素晴らしい力があるということを知らないでしょ。何がそれを忘れさせているか、ないと思っているかというと、自分の肉体のほうにある想いなんですよ。肉体のほうにある想いが自分は駄目だと思うのです。だからこの想いを、どんどん毎日毎日、神様のほうへ入れていく、お祈りによって入れておきますと、邪魔がなくなるでしょ。邪魔がなくなるに従って、力がどんどん出てくるわけです。
  (『我を極める』「第二章 人間に宿る限りなき力」より)

 ところが、少し心が立派になってきたところで、油断が出てきます。このことの危険性ついて、五井先生はつぎのように警告しています。


 ああこれでいいんだ、俺は随分偉くなった。(中略)こう思う時が一番危ない。そういう思いいは我でしょう。それは我ですから、スーッて下がってくる。そうすると幽界の生物がサーッと掴むわけです。そうすると、ズーッと感応して入ってくる。それで俺は偉い、俺は偉い、ウー、アーとやっているうちに、知らない間にグーッと幽界へ引っぱり込まれてしまう、それで気が付かない。

  そうやって、その人は霊的な進化でいえば、ずっと下のほうに沈んでしまうわけですが、そうならないためには、反省が大切 だというのです。

  とくに気をつけなくてはいけない点は、あの人は力があるとか、立派だと思われようとして、肉体人間の力よりもっと勝った力を得ようと思って修行したりする場合。幽界の想いや何かが感応し、怪しい自動書記や変な態度をとったりする。そこで、「自分のことばかり思っていないか、あるいは自分が奇跡を見せたいという想いがないか。人によく思われたい、人に褒められたいとか、そういうつまらない想いがあるかないか」という点を、厳しくチェックし、「そういう想いがすっかり無くなって、本当に純粋に人のために尽くしたい、純粋に自分の本心を開きたいという想いで統一したり、祈ったりしている場合には、本当の力が出てくるんです」と五井先生はいっておられます。


「一つの段階を上ろうとする時には必ずスランプみたいに、何か迷いが生じたり、あるいは自分をかばったり、ごまかしたり何かするんです。そこでごまかさないでしっかり反省して、すっかり裸になると、これが成功してまた上に行くんです。
そうしてこう行く、あるいは螺旋形にこう行く。上がったり下がったりし、また上がって行く。下がったように見えて上がって行く、というそういう形があるわけです。螺旋形に上って行く。そうすると螺旋形の下に来た時は、ああ自分は駄目だと思う、
これも困るんです。それで上がった時に、自分は凄い立派になったって思うと、これがまた落っこちちゃうんです。これは難しいですよ。だから立派に、より高い立場に立ったら、あるいは古くなった、もう大丈夫だと思う時に、もう一遍反省してみるんです。そうすると、もう一つ上に行きます」


  私自身の過去をふり返ってみて、慢心していた時期はないだろうかと探してみると、思い当たる時期が出てきます。その慢心の程度はどうだったろうか、どんな言動に現われていたろうかと反省してみます。
  そのときは、それを自覚できたろうか。反省できたろうか。おそらくできていなかったと思われます。
 そして、できなかった分、必ずその後に苦労したはずなのです。もちろん、そのあいだも世界平和の祈りだけは続けているわけです。それで、現われの世界で大きく消されるはずの業が小さく消され、大難が小難で済まされたということも、あったと思います。
  そして、もちろん今でさえ、自分ではまだ気がついていない慢心がときどき出てくることがあるはずです。
  考えてみれば、怖いことであり、恥ずかしいことでもあるわけですが、守護霊様、守護神様に守られながら、どうにかここまで来たともいえるのでしょうし、祈りと反省を心がけていさえすれば、気づきにくい点も、反省しやすいように導いてもらえることでしょう。


 五井先生が神我一体となった後も、どれほど反省を大事にされたかが、つぎの言葉からも伝わってきます。そして、肉体にあって本体を現す努力についても、同様のことがいえます。


「私の経験からすれば、反省につぐ反省で今日になっている。今日になってもまだ反省していますよ。ああ、みんなに対する態度はこれでいいのかと、すべていつもいつも常に反省して、立派にしよう、より立派にしようと思っているんです。人間なんてどこまで行ってもきりがない。もう全然きりがないんです」

「だから私はいつも自分は五十で、五十というのを機会にして、全部、五井先生の本体のそのままの力を肉体に現したいと思って、努力しているわけです。それがまあ、着々と成功しています。自分から見ますと、だんだんだんだんと広がってきています。それと同じように、皆さんの本体というのは、凄いんです。それはやっぱりみんな神々なんですから、神の裔(すえ)なんですから。かつては皆、菩薩であった人なんです。だからそれが出てないわけなんです」

  本体の力と光をそのまま100%出しきる気で行かなくちゃ。と、決意を新たにしたことです。