利己的な想念のエネルギーというのは、内巻きに湾曲するカーブを

描いて、戻ってくるという法則があります。



 たとえば、ふさぎこんでいたり、一つのことにとらわれていつまでもくよくよと思い悩んでいると、その人の想いはだんだんと大きくなります。そして、ついには巨大化した力をもつ生き物のような存在として、何年にもわたって影響力をおよぼしてくるようになります。



 このように自己中心的な想念をいったん放つと、それが彼を始終取り巻き、ときどき彼自身に跳ね返ってきて、同じ想念をくり返し起させる結果、固定観念とか毎度同じ反応をひき起こす思考パターン、あるいは習慣的な感情といったものを形成するようになってしまいます。


 
ホワイトスピリットの光




 そうなると、その想念を発した人は、自分自身で造りあげたこの想念の モンスターの支配下におかれ、想念エネルギーの繭玉に閉じこめられ、檻から出られない囚人のように不自由となります。



こうして、人はしばしば自らが放ったいくつもの想念の習慣化した形態の塊に囲まれて一生を送ってしまいます。

 当然、、もはや物事をあるがままに見るということはできなくなります。

 彼が檻の窓から見る外界は、彼自身の色眼鏡を通して見られる世界にすぎなくなります。



 これが人間がいかにして固定観念をつくりだし、そのために一生をマインドの牢獄の中で生きなくてはならなくなるかというメカニズムのすべてです。



偏見の形成。悪徳となった気質や態度。それは個人レベルでも起きるし、国家や民族や宗教レベルでも起きる可能性があります。

これが個人レベルや国レベルだけでなく、人類全体の霊的進化にとっても著しい妨げとなることは、いうまでもないことでしょう。




ふさぎは進歩への障壁である。少なくとも、ふさいでいることが他人に知られぬように努力しなければならない。ふさぎはその人が大師や、大師方を通して示され指導される神の経綸の実現のための奉仕よりは、自分の事の方を多く考えている証拠であり、ふさいでいると、大師としてはその人を霊導することは困難となる。

(『神智学大要』第二巻アストラル体 第八章 肉体生活 より)

 人間は授けられたアストラル体とメンタル体を生命の創造進化の法則にかなった機能のままに正しく使うことができず、誤用してしまったばかりに、本来、そのためにこの世に生まれてきたところの崇高な目的と使命を忘れ、小さな願望を想念のドームをスクリーンとして投影することに一生の時間を浪費してしまう危険性といっしょに生まれ変わり死に変わりしてきたといえます。



 これ以上、人類は争いや差別、抑圧、殺戮などに想念エネルギーを駆使するわけにはゆかないでしょう。
 そして、いまこそこの惑星上の人類はその習慣的な想いの限界を乗り越えねならない地球最後の好機に来ています。



では、どうすれば、この限界をのりこえて、高い界層へと飛翔できるかということについて、次回は述べることにします。