ある種の感情が繰り返されるということはありませんか。

 

 それが往々にして好ましくない感情だったりしませんか。

 

 たとえば、また激怒しまったわいとか。あるいは、また
くよくよしているなとか。またいいしれぬ不安につつま
れているわとか……。

 

 そして、いつしかそうした感情の虜となることから解放さ
れたいとひそかに切望しながら、またもや罠に引っ掛かっ
てしまい、おのれの愚かさへの呪詛を繰り返し、感情とい
う暴れ馬を統御できないことで苛立ちと無力感をつのらせ
てしまうといったおなじみの悪しきパターンが影法師のよ
うにくっついてくるのを煩わしく思うことはありませんか。


なぜでしょう?


 じつは、人間の出した想いというのは、その想いを発射した
原発者の意志とは無関係に独立した生き物となって空間を浮
遊し、生き永らえようとする傾向があります。

 そもそも人間が抱く想いは、それが明瞭であれば、想念波と
なって放射され、想念形態と呼ばれる色と形をもったエネル
ギーとして浮かびます。これを製造する働きをしているのは、
肉体ではなくて、メンタル(精神)体とアストラル(感情)体で
す。

 代数や幾何学などの純粋に知的で非人格的な思考であれば、
その影響はメンタル質料にたいしてのみですが、もし利己的、
または個人的な欲望が混じってくるなら、その思考のまわり
にはメンタル体よりも下の界層のアストラル体のより粗い質料

を引き寄せてしまいます。

 

 想念を起こすと、まずメンタル体が振動し、その想念を体外に
排出します。
 そのとき、周囲のメンタル界層という環境中からエレメンタル
精髄(エッセンス)と呼ばれる質料を引き寄せます。
 ただし、想念の内容が高尚なら精妙な質料を引き寄せ、低級で
卑俗なら粗雑な資料を引き寄せます。
 そして、それぞれの内容に応じた形をとります。
 しかし、人間が自分のエネルギーを外側にある欲望の対象に向け
たり、激情を発したり、何らかの感情を出したりするならば、
アストラル体が働くことになり、アストラル体からその一部が排出

されることになります。
 この場合、アストラル界層のエレメンタル精髄が集まってきて、
想念形態となります。このエレメンタル精髄はメンタル体のエレ
メンタル精髄よりも粗いのです。

 メンタル質料だけから構成される純粋な想念形態は通常人の場合、
ほとんどなく、たいていは、純粋な思考のまわりに自我欲望や感情
といった要素をくっつけているものです。
 そして、こういうアストラル・エ
レメンタル精髄を体としてまとっている

想念形態をひき起こしているもとは、メンタル体の下位の亜層とア

ストラル体の部分とが互いに癒着した「欲望-精神(カーママナス)」

といわれる「欲望に支配された精神」ないし「動物的な性情に支

された精神」です。

 こういうときに、人間が発した想いは、「生き物」(念霊ともいうべき)
として独り歩きし、環境中にとどまって存続し、大きな影響力を持ち

始めるのです。


 これが「人工エレメンタル」と呼ばれるものです。

 日本語では「生き霊」に相当するというのが、『神智学大要』の訳者で
ある仲里誠桔氏の見解ですが、私もそれに相違ないと思います。
 源氏物語などでも、病は悪霊や物の怪、生き霊のしわざとされることが
多く、この病をいやすのに加持祈祷をなりわいとする祈祷師が登場して
います。


 さて、ようやく今回の話の最初にあった「じつは、人間の出した想い
というのは、その想いを発射した原発者の意志とは無関係に独立した
生き物となって空間を浮遊し、生き永らえようとする傾向があります」
というところの手前まで来ました。


 「人工エレメンタル」あるいは「アストラル・エレメンタル精髄」には独自

の生命があり、しかもそれはある程度の知恵をもった生き物でもあります。
 そして、ここが重要なのですが、それは人間の想念や欲望にたいし、たい
へんに感応しやすい性質をもった存在であるということです。
 だから、人が想いのインパルス(衝撃波)を放つと、その波動のエネルギー
はたちまちエレメンタル精髄を一時的な体として、その中に宿ります。
 そうすると、どういうことになるかというと、生き霊としての人工エレメンタ

ルは、ますます強化されてゆく。
 つまり、初発の感情の強度が大きかったり、人間から同じ想念が繰り返し
放出されることにより、人工エレメンタルはいよいよ安定してくるという
わけです。

 あくまでも、神の大生命の光から創られた存在ではない点で、本物の
生き物ではないのですが、とくに執念や怨念など一つの考えや感情に
凝りかたまった念霊になると、かなり強力になっていて、ちょっと未
熟な霊媒や霊眼者の眼には、本物の生命と見まがうようなこともある
そうです。

 同じ想念や感情を繰り返すと、それを食べ物としている念霊たちは、
喜ぶばかりか、同じ波動の想念どうしが互いにひきつけあう力を強
める磁場のようなものを形成してゆきます。

 これが、想念形態の寿命を延ばします。
 しかも、最初にその想いを出した人を原発者とすると、人工エレメン
タルの生命力とパワーを増大させるのは、何も原発者でなくともかま
いません。
 そのわけというのは、同じ想念や感情を繰り返し与えられることで栄
養補給がなされることだけが、彼ら人工エレメンタルの欲しているこ
とですから、それを与えてくれる人なら誰でもウェルカムだからです。

それはほとんど盲目的な本能ともいうべきものです。


「しかもそのような想念形態には自分の寿命を引きのばそうとする本能
的な欲望があるらしく、その想念も造り出した当人に働きかけて、同
想念形態造出の原因となった感情を何回も引き起こさせようとする傾向
がある。同時にまた、同想念形態に接触する人に百パーセントまでとは
いかないにしても大体同じような働きかけをするものである」
(『神智学大要』第二巻 アストラル体 第七章 想念形態より)


 いつも同じ地域で紛争やテロが起きたりするのも、こうした事情による
ものであることはいうまでもありません。


 強く激しい恨みや悲しみや憤りが、生き物となって、生き永らえるための

栄養を供給しようと、何度も何度も同じ考えや感情を人間に繰り返させる

傾向にあります。


 人間が好ましくない習慣の想いから自らを脱却させるということは、相当

なことであります。
 それを成功させるには、この物質界、アストラル界、低位メンタル界をぐ
るぐる回っている強大な人工エレメンタルの想念形態を浄め、光の中で

消えてゆかせなくてはなりません。
 そして、そのためには高次元の光を意識的に流す必要があります。


 それができるのが祈りです。


 たくさんの人々の純粋な祈りによって、強力な想念の磁場を、愛とゆるし

と調和と叡智と平和のエネルギーフィールドへと変えることができるので