1956年(昭和31)に五井昌久先生は白光誌の7月号の「七月法話集」で8ページにおよぶ「世界平和の祈り」と題する法話を発表されています。



 五月の週刊東京と云う週間(ママ)雑誌に〝あなたの生命はあと十年〟と云う見出しで、原水爆の被害によって、地球は十年後には、壊滅し去ってしまうであろう。と云う、或る易者と、霊能者の予言を発表して居りました。そしてその予言を、今の状態で行けば、そう云う状態は実現しないとは云えぬ、と云っている科学者と、そんな事は無い、と軽く否定している科学者とがありました。

 実際、米英の原水爆実験競争を見せつけられていると、どこの国の人たちでも、一応原水爆ノイローゼにならざるを得ないと思われます。

 現在、地上界に於ける大国の指導層である肉体人間の白痴的頭脳には、自己を守る為には、相手を武力で圧迫するか、精神的圧力で、相手を抑圧するかの二つの方法しか考えられていなのですから、小国側から、いくら原水爆の実験を止めて下さい、と頼んでみても、訴えてみても、けっしてそれを止めようとは致しません。そうした実験がどれ程人類の心身を痛め傷つけ損なう事であり、真実の平和には、何等役立つ事でない事は、客観的冷静さをもつ人々には、実に明瞭に判断出来るのでありますが、対立闘争の渦中にある大国の指導層の頭脳には、その理が、はっきり判らないばかりか、それより他に、平和を維持する方法がない、と思い込んでいるのであります。

       

 (『白光』誌 七月ご法話より 昭和31年)

 そして、この問題の本質について、「何処の国の人々もが同じような想い、自分と自分の国と云うものの、現象的な利益、眼前の利害得失のみを、先に考える事からひき起されてきているのです」と指摘し、「自他の利害、自国と他国との利害を、全く一つとして考えられるようにならぬ限り、人類の平和は絶対に来る事はありません」と五井先生は断言するのです。


 最近では、1945年(昭和20)の日本の敗戦以来、抑えられていた「国益」の主張が再び活発になってきています。しかし、そこには、あまり高い心性は認められません。

 なぜなら、それらの主張のもととなっている想念感情がどういうレベルから来るものであるかに気をつければ、わかることだからです。「このままでは日本は潰れてしまう」とか、「今ほど脅威に取り囲まれた時期はない」などのメッセージからは、残念ながら不安や恐怖などのネガティブな感情と、肉体自我に相当する国家の防衛のためなら、他国と武力で交戦することも辞さない利己心がうかがえるばかりです。   

 これはちょうど今、私たちが分岐点に立っていることを示す現象の一つと思われます。

つまり、未知のステージに臨んで、古くからの闘争本能に帰る反動的な行き方を選択し、自ら滅亡する道と、それともまったく新しい方法を行使することで、飛躍する道とに別れるだろうということです。

 そして、五井先生は前出の白光誌のご法話で、「ところが、私の霊覚では、地球も人類も絶対に滅びる事はない、とはっきりと言明するのです」と書いています。

 それはなぜかというと、地球人類の危機を超える「方法」があるからです。次はそのことについて述べられた箇所を抜粋します。



 現今の正しき宗教者と、その宗教の真行者は、地球の壊滅と人類救済の為に、神から特派された天使たちであり、菩薩群なのであります。

それは、特定された、一つの宗教教団とか、宗教教祖とか、云うのではなく、正しい宗教観を行じている者、と云う意味であります。



他国に依存し、他人に依頼して、今に何んとかなるであろう式の生き方では、自己も人類も滅び去る事は、今迄の説明でお判りであろうと思います。

自分が自分自身を救い、自分が、世界人類を危機から救う一人であるのだ、と云う自覚を、先ず貴方がもつ事が第一なのです。



 世界を救う、と云う自覚を、日本人の一人一人が自分の肚(はら)にもつ事、それが、自分を救い、日本を救う第一の事なのです。



 その救済の具体的な方法を、「たゆまざる〝祈り〟なのであります。世界平和の祈りなのであります」として、祈りとは「生命を宣(の)り出す。生命を宣言する。生命そのものになる。と云う事で、神と一体になる事意外に、此の世を救う道が他にあるのでしょうか」といっています。



 神から離れれば離れる程、人間と人間の間の心の通い合いが出来難くなり、人間相互の不信感が強くなってくるのです。何故なれば、神は生命の根源であり、心の大元であります。そして、人間は神の生命に於て一つなのであります。



 では、真の祈りとは如何なる方法でやればよいのでしょう。それは、私が提唱している〝世界平和の祈り〟なのであります。



世界人類が平和であります様に

日本が平和であります様に

私共の天命が完うされますように

守護霊様、守護神様、ありがとうございます

(筆者註:現在の祈りことばと多少異なります→現在の祈りことばはこちら をご参照ください)



 どんな不幸も苦しみも、現れれば消え去るもの、そして本心(神)は永劫に光り輝いているもの、と思い定めている心境になりきれるように、知らぬ間になれてくるのです。又、人類的には、世界平和の祈りによって、其の人々の迷いの想念が、守護の光明に近づいて、いちはやく消え去るので、神霊の光波がその想念の波を伝わって、地上界の浄めがし易くなり、天界から地上界に、光明波動が、多量に放射出来るように成るので、人類世界の業想念の波を、その光明によって、天変地異や、戦争の災害に到らさずに、消し去ることが出来るようになる。つまり、神愛が、地上界に、広範囲にとどき易くなる、と云う

ことになるのであります。

 

 世界平和の祈りこそ、世界人類を救うと共に、個人個人をも救う、偉大なる祈りの方法なのであります。

見ていてごらんなさい。今にその効果が、はっきり地上界に現われてきますから……

 その効果を一日も早く現す為にも、あなた方の一人が、世界平和の祈りを実行して下さる事が、急務なのであります。


(『白光』誌 七月ご法話より 昭和31年)