本稿は7月5日の續きになります。   
 http://ameblo.jp/kotodama-1606/entry-11566726394.html 



28 源宗于朝臣
 
(生年不明~九三九年)



*源宗于朝臣(時雨殿所蔵)

 
山里は冬ぞさびしさまさりける
  人めも草もかれぬと思へば
   (古今集)


(歌の詠み方)

上の句 やまざとは ふゆぞさびしさ まさりける
下の句 ひとめもくさも かれぬとおもえば


《歌意》
 山里はことに冬になると寂しさがまさって感じてしまう。訪ねて来る人もなくなり、草も枯れてしまったことを思えば。


 歌の間のエピソード

 歌の背景

*この歌は、山の中で一人で住んでいるのに
 訪ねてくれる人もいない寂しさを歌っているのです。

 この歌を作った時、
 宗于は仕事の第一線を退いて山に籠もって
 住んでいたのではないかと想像できます。

 百人一首では、はっきりとした冬の歌は
 この歌を入れて四首選ばれています。





 他の歌は第四番「田子の浦」
 第六番「かささぎの」
 第三十一番「朝ぼらけ有明の」の三首になります。


 語の説明


*「山里は」とは、係助詞「は」は
 他と区別する意味があります。
 都ではなく山の里という意味になります。

 「冬ぞ」の「ぞ」は強意の係助詞で
 「季節の中で冬がもっとも」というような意味です。

 ここでいうところの「寂しさ」は、
 「孤独で寂しい」ということを表しています。


*「ひとめ」は、「人の目」ということで
 誰も訪ねて来なくなったことを表しています。


*「かれぬ(漢字では「離れぬ」と書きます)」
 という言葉には「はなれる」と「草が枯れる」と
 いう二つの意味を重ねてあります。
 このような言葉を「掛詞」と前に言いましたね。


 人物

*源宗于は、光孝天皇の孫にあたります。



*光孝天皇(狩野探幽「百人一首画帖」より)

 和歌に優れていて、三十六歌仙の一人です。


 『大和物語』には、
 この宗于のお話が
 「右京大夫」の名でたくさん載っています。

 そのお話は、皇孫であるにもかかわらず
 不遇を嘆いていることが中心となっています。

 源宗于は、紀貫之ともとても仲が良かったということです。


 かるた一口メモ 





 この札は、「やまざとは」の「やまざ」と
 詠んだら取れる三字決まりの札です。


 「やま」で始まる歌は二枚あります。

 もう一枚は「山がわに」という歌です。


 取り札の中に

 「なかれもあへぬもみちなりけり」

 がありますか。




 それが「山がわに」です。

 こんど、「山」と詠んだら、その札を取って下さい。