本稿は7月5日の續きになります。
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28 源宗于朝臣
(生年不明~九三九年)
*源宗于朝臣(時雨殿所蔵)
山里は冬ぞさびしさまさりける
人めも草もかれぬと思へば
(古今集)
(歌の詠み方)
上の句 やまざとは ふゆぞさびしさ まさりける
下の句 ひとめもくさも かれぬとおもえば
《歌意》
山里はことに冬になると寂しさがまさって感じてしまう。訪ねて来る人もなくなり、草も枯れてしまったことを思えば。
歌の間のエピソード
歌の背景
*この歌は、山の中で一人で住んでいるのに
訪ねてくれる人もいない寂しさを歌っているのです。
この歌を作った時、
宗于は仕事の第一線を退いて山に籠もって
住んでいたのではないかと想像できます。
百人一首では、はっきりとした冬の歌は
この歌を入れて四首選ばれています。
他の歌は第四番「田子の浦」
第六番「かささぎの」
第三十一番「朝ぼらけ有明の」の三首になります。
語の説明
*「山里は」とは、係助詞「は」は
他と区別する意味があります。
都ではなく山の里という意味になります。
「冬ぞ」の「ぞ」は強意の係助詞で
「季節の中で冬がもっとも」というような意味です。
ここでいうところの「寂しさ」は、
「孤独で寂しい」ということを表しています。
*「ひとめ」は、「人の目」ということで
誰も訪ねて来なくなったことを表しています。
*「かれぬ(漢字では「離れぬ」と書きます)」
という言葉には「はなれる」と「草が枯れる」と
いう二つの意味を重ねてあります。
このような言葉を「掛詞」と前に言いましたね。
人物
*源宗于は、光孝天皇の孫にあたります。
*光孝天皇(狩野探幽「百人一首画帖」より)
和歌に優れていて、三十六歌仙の一人です。
『大和物語』には、
この宗于のお話が
「右京大夫」の名でたくさん載っています。
そのお話は、皇孫であるにもかかわらず
不遇を嘆いていることが中心となっています。
源宗于は、紀貫之ともとても仲が良かったということです。
かるた一口メモ
この札は、「やまざとは」の「やまざ」と
詠んだら取れる三字決まりの札です。
「やま」で始まる歌は二枚あります。
もう一枚は「山がわに」という歌です。
取り札の中に
「なかれもあへぬもみちなりけり」
がありますか。
それが「山がわに」です。
こんど、「山」と詠んだら、その札を取って下さい。