本稿は7月4日の續きになります。   
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27 中納言兼輔 


 (877年~949年)







みかの原わきて流るるいづみ川
  いつみきとてか恋しかるらむ


  (新古今集)


(歌の詠み方)

上の句 みかのはら わきてながるる いづみがわ
下の句 いつみきとてか こいしかるらん


《歌意》
 みかの原を分けて流れるいづみ川。その「いつみ」ではないが、一体いつ見たというのでこれほど恋しいのであろうか。あの人を思うと涙が川になるほどに泣けてしまいます。


 歌の間のエピソード


 歌の背景


*泉川までが掛詞で、
 「分ける」と「湧ける」を掛け、
 泉と「いつ見」を掛け、
 さらに「わき」は「泉」の縁語。と、
 これだけを見たならば
 技巧をふんだんに使った
 普通の恋の歌になるのですが、
 この歌の下の句にはいくつかの解釈があって、

 「噂は聞いているが、
  一度も逢ったことのない女性への恋」

 ともう一つは

 「一度は逢ったが、それがとても
  信じられないような女性への恋」

 というものです。


*ここでは、
 「女性を恋しい」という感情を
 述べんとして、どうして恋しくなるのか

 →それは「いつ見きとてか」
 (長らく逢わないため、
  昔の一瞬逢った印象が
  ますます心の中で増大し強化されていく)

 →逢えないとなおさら逢いたくなる

 →恋しい、となるのでしょう。


 下句を飾るために、
 上句に少しずつ遡って言葉を
 上乗せしていく技法を用いています。


 まず、「いつ見き」

 →言葉のリズムをとるために、
  同音の縁語(恋心湧く

 →「いづみ」)のいつみ

 →いづみ

 →いづみ川と連ねてきて、

 いづみ川に縁語を結ぶため、

 いづみ

 →「わきて」川

 → 「流るる」いづみ川

 →みかの原と、三語をたぐりよせ、
   「みかの原」「わきて」「流るる」

 →いづみ川と構成したのでしょう。


 正しく言葉の泉から、
 縁語が止めどなく湧き上るように、
 歌の各句に繋がっています。

 (中西久幸著『敷島随筆書棚』より引用)


*じつは、この歌は兼輔の歌ではないと
 契沖が言っており、それが正しいと
 今では通説となっています。

 兼輔の作った歌で有名なものとしては、




人の親の心は闇にあらねども
  子を思ふ道にまどひぬるかな

があります。


 語の説明


*「みかの原」は、漢字では「瓶原」「甕原」ですが、
 京都府相楽郡(現木津川市)にあります。



*甕原みかのはら(木津川市)

 聖武天皇の時代には都が置かれたこともあります。

 「いづみ川」は、いまの木津川のことです。


*木津川(いづみ川)


*「わきて流るる」は、
 「わき」は四段動詞「分く」の連用形で
 「分けて」という意味ですが、
 「分き」と「湧き」(水が湧く)を掛けています。

 「湧き」は「泉」の縁語でもあります。

 全体で「分けて流れる」と
 「湧き出て流れる」という意味になります。



*「いつみきとてか」とは、
 「いつ逢ったというのか」という意味です。
 「き」は過去の助動詞、
 「か」は疑問の係助詞です。


*「恋しかるらむ」は、
 「恋しいのだろうか」という意味になります。
 「恋しかる」は形容詞「恋し」の連体形で、
 「らむ」は推量の助動詞です。


 人物

*この歌を作った中納言兼輔は
 藤原兼輔のことです。
 藤原兼輔は、紫式部のひいおじいさんなのです。

 紫式部の縁者で
 百人一首に選ばれている人物は
 この兼輔の他にも、大弐三位、
 大納言家隆などもいます。


*三条右大臣(藤原定方)とも幼なじみで、
 非常に仲が良かったといいます。
 この人も、美男子だったとのことです。


 かるた一口メモ




 この札は「みかのはら」の
 三音「みかの」で取れる三字決まりの札です。


 もう一枚は

 「みかきもり衛士の焚く火の夜は燃え
   昼は消えつつものをこそ思へ」です。