本稿は7月4日の續きになります。
http://ameblo.jp/kotodama-1606/entry-11566049376.html
27 中納言兼輔
(877年~949年)
みかの原わきて流るるいづみ川
いつみきとてか恋しかるらむ
(新古今集)
(歌の詠み方)
上の句 みかのはら わきてながるる いづみがわ
下の句 いつみきとてか こいしかるらん
《歌意》
みかの原を分けて流れるいづみ川。その「いつみ」ではないが、一体いつ見たというのでこれほど恋しいのであろうか。あの人を思うと涙が川になるほどに泣けてしまいます。
歌の間のエピソード
歌の背景
*泉川までが掛詞で、
「分ける」と「湧ける」を掛け、
泉と「いつ見」を掛け、
さらに「わき」は「泉」の縁語。と、
これだけを見たならば
技巧をふんだんに使った
普通の恋の歌になるのですが、
この歌の下の句にはいくつかの解釈があって、
「噂は聞いているが、
一度も逢ったことのない女性への恋」
ともう一つは
「一度は逢ったが、それがとても
信じられないような女性への恋」
というものです。
*ここでは、
「女性を恋しい」という感情を
述べんとして、どうして恋しくなるのか
→それは「いつ見きとてか」
(長らく逢わないため、
昔の一瞬逢った印象が
ますます心の中で増大し強化されていく)
→逢えないとなおさら逢いたくなる
→恋しい、となるのでしょう。
下句を飾るために、
上句に少しずつ遡って言葉を
上乗せしていく技法を用いています。
まず、「いつ見き」
→言葉のリズムをとるために、
同音の縁語(恋心湧く
→「いづみ」)のいつみ
→いづみ
→いづみ川と連ねてきて、
いづみ川に縁語を結ぶため、
いづみ
→「わきて」川
→ 「流るる」いづみ川
→みかの原と、三語をたぐりよせ、
「みかの原」「わきて」「流るる」
→いづみ川と構成したのでしょう。
正しく言葉の泉から、
縁語が止めどなく湧き上るように、
歌の各句に繋がっています。
(中西久幸著『敷島随筆書棚』より引用)
*じつは、この歌は兼輔の歌ではないと
契沖が言っており、それが正しいと
今では通説となっています。
兼輔の作った歌で有名なものとしては、
人の親の心は闇にあらねども
子を思ふ道にまどひぬるかな
があります。
語の説明
*「みかの原」は、漢字では「瓶原」「甕原」ですが、
京都府相楽郡(現木津川市)にあります。
*甕原みかのはら(木津川市)
聖武天皇の時代には都が置かれたこともあります。
「いづみ川」は、いまの木津川のことです。
*木津川(いづみ川)
*「わきて流るる」は、
「わき」は四段動詞「分く」の連用形で
「分けて」という意味ですが、
「分き」と「湧き」(水が湧く)を掛けています。
「湧き」は「泉」の縁語でもあります。
全体で「分けて流れる」と
「湧き出て流れる」という意味になります。
*「いつみきとてか」とは、
「いつ逢ったというのか」という意味です。
「き」は過去の助動詞、
「か」は疑問の係助詞です。
*「恋しかるらむ」は、
「恋しいのだろうか」という意味になります。
「恋しかる」は形容詞「恋し」の連体形で、
「らむ」は推量の助動詞です。
人物
*この歌を作った中納言兼輔は
藤原兼輔のことです。
藤原兼輔は、紫式部のひいおじいさんなのです。
紫式部の縁者で
百人一首に選ばれている人物は
この兼輔の他にも、大弐三位、
大納言家隆などもいます。
*三条右大臣(藤原定方)とも幼なじみで、
非常に仲が良かったといいます。
この人も、美男子だったとのことです。
かるた一口メモ
この札は「みかのはら」の
三音「みかの」で取れる三字決まりの札です。
もう一枚は
「みかきもり衛士の焚く火の夜は燃え
昼は消えつつものをこそ思へ」です。
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27 中納言兼輔
(877年~949年)
みかの原わきて流るるいづみ川
いつみきとてか恋しかるらむ
(新古今集)
(歌の詠み方)
上の句 みかのはら わきてながるる いづみがわ
下の句 いつみきとてか こいしかるらん
《歌意》
みかの原を分けて流れるいづみ川。その「いつみ」ではないが、一体いつ見たというのでこれほど恋しいのであろうか。あの人を思うと涙が川になるほどに泣けてしまいます。
歌の間のエピソード
歌の背景
*泉川までが掛詞で、
「分ける」と「湧ける」を掛け、
泉と「いつ見」を掛け、
さらに「わき」は「泉」の縁語。と、
これだけを見たならば
技巧をふんだんに使った
普通の恋の歌になるのですが、
この歌の下の句にはいくつかの解釈があって、
「噂は聞いているが、
一度も逢ったことのない女性への恋」
ともう一つは
「一度は逢ったが、それがとても
信じられないような女性への恋」
というものです。
*ここでは、
「女性を恋しい」という感情を
述べんとして、どうして恋しくなるのか
→それは「いつ見きとてか」
(長らく逢わないため、
昔の一瞬逢った印象が
ますます心の中で増大し強化されていく)
→逢えないとなおさら逢いたくなる
→恋しい、となるのでしょう。
下句を飾るために、
上句に少しずつ遡って言葉を
上乗せしていく技法を用いています。
まず、「いつ見き」
→言葉のリズムをとるために、
同音の縁語(恋心湧く
→「いづみ」)のいつみ
→いづみ
→いづみ川と連ねてきて、
いづみ川に縁語を結ぶため、
いづみ
→「わきて」川
→ 「流るる」いづみ川
→みかの原と、三語をたぐりよせ、
「みかの原」「わきて」「流るる」
→いづみ川と構成したのでしょう。
正しく言葉の泉から、
縁語が止めどなく湧き上るように、
歌の各句に繋がっています。
(中西久幸著『敷島随筆書棚』より引用)
*じつは、この歌は兼輔の歌ではないと
契沖が言っており、それが正しいと
今では通説となっています。
兼輔の作った歌で有名なものとしては、
人の親の心は闇にあらねども
子を思ふ道にまどひぬるかな
があります。
語の説明
*「みかの原」は、漢字では「瓶原」「甕原」ですが、
京都府相楽郡(現木津川市)にあります。
*甕原みかのはら(木津川市)
聖武天皇の時代には都が置かれたこともあります。
「いづみ川」は、いまの木津川のことです。
*木津川(いづみ川)
*「わきて流るる」は、
「わき」は四段動詞「分く」の連用形で
「分けて」という意味ですが、
「分き」と「湧き」(水が湧く)を掛けています。
「湧き」は「泉」の縁語でもあります。
全体で「分けて流れる」と
「湧き出て流れる」という意味になります。
*「いつみきとてか」とは、
「いつ逢ったというのか」という意味です。
「き」は過去の助動詞、
「か」は疑問の係助詞です。
*「恋しかるらむ」は、
「恋しいのだろうか」という意味になります。
「恋しかる」は形容詞「恋し」の連体形で、
「らむ」は推量の助動詞です。
人物
*この歌を作った中納言兼輔は
藤原兼輔のことです。
藤原兼輔は、紫式部のひいおじいさんなのです。
紫式部の縁者で
百人一首に選ばれている人物は
この兼輔の他にも、大弐三位、
大納言家隆などもいます。
*三条右大臣(藤原定方)とも幼なじみで、
非常に仲が良かったといいます。
この人も、美男子だったとのことです。
かるた一口メモ
この札は「みかのはら」の
三音「みかの」で取れる三字決まりの札です。
もう一枚は
「みかきもり衛士の焚く火の夜は燃え
昼は消えつつものをこそ思へ」です。