3月に地元ローカルテレビで放送された番組を拝見して以来、
地元の土木遺産である「万世大路」を何か支援出来ないか模索中である。
平成21年というから実に14年前であるが、私がその万世大路に強く惹かれるきっかけとなった頃に地元業界紙に書いた文章が残っていたので、長いが以下転載する。
ご興味のある方がご一読下さい。
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「万世大路への目覚め」
車で国道13号線(福島市~米沢市間)を走ると、カーナビの地図上にときどき(機種によるかもしれないが)「万世大路」という文字が現われる。
目にした瞬間だけ「なんとなく理由は分かるけど、なぜに今の地図にその言葉が出てくるの?」と思うのだが、その疑問はそれ以上追求されることなく自分の心の奥底に放置してあった。
現在、我々の日常生活の中で13号線を「万世大路」と呼ぶ人はほとんどいない。昭和41年に東西の栗子トンネルを含む現道が「栗子ハイウェイ」と称し開通する以前の道路を知らない一般の人間にとって、万世大路は漠然と「旧道」の認識があるだけではないだろうか。特に、「歴史」という分野には拒絶反応が強い私のような人間にとっては・・・。
縁あって、今年(平成21年)の3月に開催された「ふくしまけん街道交流会講演会」の運営をお手伝いすることになり、初めて「万世大路」に向き合い、関係者から頂いた資料でその歴史に目を通してみた。
そして、いきなり強烈な一文に出会った。
「萬世ノ永キニ渡リ人々ニ愛サレル道トナレ」
明治14年、万世大路の開通式に参加した明治天皇が、この言葉の思いを込めて「万世大路」と命名した、と書いてある。
大げさかもしれないが、身体にビビビッと電気が走るような衝撃が走った。
きっと知らない方が少なくないと思うので(私の周辺数十名の中では一人も知らなかった!)もう一度キッチリ書こう。
「万世大路」は、明治天皇がわざわざ開通時に訪れて「萬世ノ永キニ渡リ人々ニ愛サレル道トナレ」という思いで命名された道なのである!
歴史に疎い私であるが、これは福島市やその周辺にとって非常に大事な、というかとてつもなくありがたい出来事であると思う。
よく見かけるじゃないですか、観光ポイントなどで弁慶が休んだ岩だとか、弘法大師が水を飲んだ場所だとかをありがたく大切にしている場所。それどころじゃない、明治天皇がわざわざ「万世の長きに渡って人々から愛される道となるように」と祈りを込めて命名されているのだ。重みがまったく違う。
福島市にも米沢市にも万世町という地名が残っていることからも、この言葉を当時の人たちがいかにありがたく思ったかがよく分かる。
で・・・。
と、今を振り返ってみると、万世どころか命名からわずか100年でその道はどこにあるかもほとんど知られていないのではないか。私はこのあたりに強く惹かれたのである。
突如湧いた興味は怒涛のごとし。
調べ始めると次から次へと興味深い話に行き着き、さらに関心は高まるばかりである。
歴史的経過や意義などは私ごときが語るまでもなく、インターネット等でも情報がたくさん出ているので省くが、それ以外でも注目すべきことがらも多い。
建設業者のハシクレとして声を大にして言いたいのは、土木技術としての位置付けである。万世大路の最頂部の「栗子隧道」はその時代に日本最長の867mのトンネルであった。当時世界に3台しかなかったという米国製の削岩機(エアドリル)が導入され、外国人技術者のアドバイスもあったが、日本技術者だけで完成させた国内初めての本格的トンネル建設事業としての歴史的意義は非常に高い。(この内容は先般日本トンネル技術協会誌「トンネルと地下」に掲載された阿部公一氏:「栗子隧道・建設工事史」に詳しい)
しかも930日間1日も休まずトンネル掘削作業を続けた難工事にも関わらず、死者が1名も出なかったという事実も併せて価値がある。
その栗子隧道は昭和初期に自動車が通れるように拡幅掘削したが、昭和41年に使用されなくなって間もなく坑内が崩落し、以来通り抜けが出来なくなっている。
面白いことに現在、万世大路は「廃道」として人気を博している。私も今回初めて知ったのであるが、世の中には「街道」ではなく「廃道ファン」「廃道マニア」が無数にいるのである。字のごとく現在は利用されることがなくなった旧道を訪ねて散策したり現状を調査することを趣味とされている方々のようである。
インターネットで万世大路を調べると、そのような方々が万世大路を踏破する記録がたくさん掲載されていて、しかも非常に貴重な場所であるというような文章を何度も読んでいた。
その頃、東京の有名大型書店を散策していたら「廃道をゆく」という本(イカロス出版)が平積みで置かれていたのを発見した。日本中の廃道を写真入りでまとめた詳細な廃道ガイドブックである。
その本の表紙の写真が、栗子隧道であった。
さらに中を開いてみると、44箇所紹介される廃道のうちのトップが万世大路なのである。「鳥肌モノ!ヤブを超えた先に見る、道路史に残る名トンネル」というタイトルで4ページに渡ってルートを解説しているのだ。 廃道マニアのみなさんにとって、万世大路は「聖地」なのだという。
命名の理由とはうらはらに、日本で一番有名な廃道になっているわけである。
意外な話だが、日本映画界の巨匠・故今村昌平監督(カンヌ映画祭で2度グランプリ受賞)がこの万世大路で映画を撮っていたことも分かった。「赤い殺意」(1964年・日活)という映画である。映画マニアには大変評価の高い映画で、やはり映画監督である恩地日出夫氏が「古今東西あらゆる映画の中でこの赤い殺意こそベスト・ワンである」と述べているほどである。
インターネットでその作品を取り寄せることが出来て早速鑑賞したが、最後のクライマックスが雪深い万世大路を主人公たちが歩いて通りながらストーリーが一転するというものであった。ツララがしたたるトンネル内のシーンがしばらくあるのだが、これが栗子隧道の東側に現存する二ツ小屋隧道である。現在の東栗子トンネルの建設中に撮影されたことを当時の工事関係者が覚えていた。
さて、机上でいろいろ調べた後、早速5月と7月に万世大路を歩いた。
5月には友人らと福島側から栗子隧道までを往復、7月には山形県関係の方々が主催した行事に参加して山形側から福島側まで全ルートを歩いた。
一見、40数年前に車が通っていた道とは思えないほど自然の濃い山道である。ハイライトである栗子隧道は圧巻であった。確かに「鳥肌モノ!」で、もはや道なき道と化したルートを歩き、坑門の姿が目に映った時の感動は、単に景観的なものだけでなく、歴史や土木技術の深い味わいを含めた感動がある。
※写真は福島側坑口
だがトンネルは山形側から入って間もなく行き止まりとなる。トンネル頂上部の大規模な落盤による土砂でトンネルは完全に閉塞されている。一筋の光すら見えないほど、見事なまでにビッチリと閉じられているのだ。
かつて半世紀前には重要幹線であった道路が遮断されているわけである。
よって、全ルート踏破するためには、トンネル坑口の脇から直登して山を越えることになるのだが、そこは明治時代に日本最長のトンネルを掘るという選択をせざるを得なかった(!)という歴史的に証明された急勾配で、壁にへばり付くような実に楽しい(?)沢登りを経験出来る。そして登りきったところで右に福島市、左に米沢市、の街並みが見えるという景色を目にすることになる。
新鮮な山の景色にプラスして価値ある土木遺産をじかに歩きながら構造物等を見ることが出来るという、まったくもって贅沢な登山ルートである。
万世大路にはまだまだいろんな角度での魅力がいっぱい詰まっているのだが、そろそろ字数制限に近づいてきてしまった。
私は「萬世ノ永キニ渡リ人々ニ愛サレル道トナレ」という言葉に引っ張られて、まったく無知だった万世大路という壮大な物語に巻き込まれてしまった。調べれば調べるほどに面白くなり「歴史ファン」の醍醐味が少し分かった気がしている。県立図書館にまで足を運んでしまう始末だ。
せっかくなので次の物語につなげるような前向きな取り組みをしていきたいと思っている今日この頃である。
(本文は、社団法人福島県建設業協会機関紙「福建」に掲載したものに加筆修正をしました。)