先週、大成建設グループ創業150周年の広告に当社施工の工事が紹介されていたことを書いたが、
実はこの年末年始、それ以上に貴重な記録を発見したのである。
正月休みはコロナ陽性で隔離生活となり私はひたすら読書に没頭した合間にインターネットでいろいろ調べものもしていた。その中で、興味深い資料を発見して購入したのである。
それは昭和42年に出版された「土木工事施工例集 4 トンネル・地下鉄道編」という書物で、昭和35年創刊の月刊誌「土木施工」(現在も発行されている)に掲載された各種土木工事に関する資料や論文のうち、特に重要な内容を工種別にまとめたものであった。
ネット情報で、その資料の中に当社が当時施工した栗子第一トンネル(現・東栗子トンネル)と、黒部川第四発電所(通称・クロヨン)の際に施工を担当した「高熱隧道」の記録が掲載されていることを知り、すぐに購入を決意。
値段は想像よりはるかに安い3,000円であった。(出版したのは一昨年の復刻をお手伝いした「土木のこころ」の版元であった山海堂)
届いて早速開いてみると、前社長である父が結婚する際に仲人をしていただいた大成建設の栗子作業所長が書いたトンネル施工に関する論文が、詳しい資料とともに掲載されていた。
そしてなにより驚いたのが、高熱隧道の記録である。それは、掘削する岩盤の最高温度175℃あったという超過酷な工事における、「健康管理」について書かれた文章であった。
タイトルに「新黒三高熱トンネル」とあるのは、クロヨンで使用した水を続いて新たなトンネルで新黒三発電所に導水する工事に高熱地帯があったからで、あくまでクロヨンの関連工事である。
健康管理でどのような対策をしていたかの説明の中に、どんな食事をしていたか、医療費はどれほどかかっていたか、という記録があって、その中に祖父を中心とした「森崎班」という言葉が3回出てきたのだ。
これまでいろんな関連資料を見てきたが、こうして記録文章の中に下請である当社の前身の名前が残っていたのを目にしたのは初めてである。
私たちの仕事は構造物や社会的な効果として残っていくものであるが、このように目に見えた記録として刻まれると、やはり誇らしい気持ちになる。
2年半前、近くのダム付近に母方の祖父の名前が刻まれた石碑を偶然発見したことがあったが
やはり名前がしっかり残されているというのは後世に事実を残す意義があると思う。
今回見つけたこれらの記録、実際に当時現場で苦労した祖父の位牌にも見せてきたところだ。きっとあの世で喜んでいることと思う。