草むしり哲学 | 寿建設 社長ブログ

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福島県福島市にある建設会社です。
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エピソードや思うことを綴ります。

毎朝の散歩ついでに近くで草むしりを始めて2ヶ月になる。

https://ameblo.jp/kotobuki5430511/entry-12680671873.html

 

「一日一善」とかそういう気持ちはなくなり、もはや趣味となった。

根っこごと草を引き抜く、という行為が楽しいのだ。普段雑念が多いせいかなんだか精神的にも落ち着く感じがする。

だから自分のためにやっている、と言っていい。

 

結構面積の大きい花壇なので、毎日少しづつ順番にむしっていっても、前の箇所からまた草は生えてくる。

特に梅雨で連日雨が降った後は、一気に草の成長は早くなった。

毎日花壇の全景を見ながら「ありゃーまた向こう側は伸びたなあ」と思っている。

この、やってやっても終わらない感覚は決して自分にとって悪くなく、永遠に続く楽しみのような気がしている。

草を一本一本抜きながら、なんとなく哲学的な思想をしていることもある。

抜いても抜いてもどんどん生えてきて、ずっと終わりそうもないその行為をしていると、「諸行無常」とか「因果応報」という仏教の教えの言葉が湧いてくる。

日常の生活では味わえない、ある意味非生産的な作業を続けることで、普段の生活では考えない世の中の真理のようなもの(もちろん勝手に解釈しているのだが)が薄っすら頭の中に見えてくる感じがする。

 

また生えている草にはいろんな種類があって、種毎に根の張り方が異なることも体感的に分かってくる。必然的に抜き方のコツも種類によって異なるわけだ。十把一絡げに「雑草」と呼んでいるが、それぞれにいろんな個性があることを知り社会の縮図のようなことを頭の中でイメージしてたりもする。

https://ameblo.jp/kotobuki5430511/entry-12684381071.html

 

本当の哲学者からしたら取るに足らないアホみたいなことだろうが、私自身としては普段考えることとはまた別の考えが浮かんだり消えたりするのを楽しんでいるのだ。