何度も書いていることだが、写真家・山崎エリナさんに当社の現場を撮影していただき、その写真を写真展として展開したことからいろいろ話題となり、2冊の写真集として形になった。
山崎さんに撮っていただいた写真データは千枚単位で預かっており、基本ご本人の了解のもと撮影者の記名入りで当社や建設業の広報活動に活用させていただいている。
時々その膨大な数の写真を見返すのだが、「あら、こんないいのあったんだ」と思う写真に未だ遭遇することがある。発掘される、と感覚に近い。
もちろんプロが撮っているからすべてよい写真なのだが、その時の気分とか状況などで感じるものが違うのかもしれない、と私は勝手に思っている。
最近「あら!」と思った写真がこちら。
貫通したトンネルの、貫通点をじっと見ている後ろ姿の写真。
この人、私なのである。
私は撮影依頼の対象ではないのでほとんど写ってないのだが、これは貫通直後、山の神様に感謝をしている姿を山崎さんが撮影したようである。
背後の照明で影が貫通孔に向かって伸びているのがよい。
(ついでに顔が写ってないのもよい)
先月山崎さんとオンラインで話をした時に、「どういう気持ちで撮ったかということを優先している」という話を聞いてちょっとした衝撃を覚えた。
この時の私自身も、事故なく貫通を迎えて山の神様に、そして当社社員を含む工事関係者に心から感謝する気持ちで貫通点を見ていたのは間違いない。
そこも表現されているのかもしれない。
と、本人が書いても説得力ないか。