アナログとデジタル | 寿建設 社長ブログ

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福島県福島市にある建設会社です。
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読んでいた小説の中で、アナログレコードとCDの違いについての会話シーンがあった。

 

「どうしてアナログの音が見直される。所謂、懐古趣味というヤツかね」
「いいえ、純粋に音量の問題なのです。CDのサンプリング周波数は44.1キロヘルツ、限界高温は20キロヘルツに規格されています。もちろん実際の可聴域限界は12キロヘルツ付近ですから聴くのに別段支障はないのですが、録音帯域を限定しているので生の音がそのまま入っている訳ではない、という批判があります」
「ふむ」
「そしてまあ、これは感覚的領域なのですが、CDの音は輪郭が立ち過ぎてカクカクしている。その点、アナログ・レコードは丸みが残っている、と評する人もいます。温かい音、と表現する人もいますね。(以下略)」

 

つまり、アナログでは耳には聴こえない部分まで録音してあって、CDは聴こえる周波数だけを録音、再生しているということのようだ。
そこには分かる人には分かる絶対的な違いがあるようで、だから多少手間やお金がかかってもアナログに固執する人はいるのだ。

続いてこんな会話も出てくる。

 

「(前略)レコードの音を携帯オーディオに取り込むための簡易システムでした。聴く、というよりは拾う、という態様でしょう。第一、彼らの世代はもうCDすら聴きません。もっぱらブロード配信ですからね」
「配信というと、よく道で見かけるイヤフォンで聴くようなアレか。あれでは音質もへったくれもあるまい。何ともみみっちい趣味やな」
「趣味というより、音楽を空気のように捉えている人たちがいるのですよ。気軽に、まるで呼吸でもするように、歩きながらでも自然に音楽が耳から入ってくる。ただし、それなしの生活など想像もできない」

 

我が家で聴く音楽は、携帯オーディオである。
小さな装置に何百曲も入っている。
そう言われて改めて聴いてみると、確かに音の厚みのようなものはないのかもしれない。

 

「アナログ」か、「デジタル」か、という違いは、今の時代を象徴しているように思う。
なんでもかんでも「便利」であればいいというのが「デジタル」的思考だと思う。

私は古い人間なのか、どうしても少し「アナログ」を残したいと思うようだ。

 

スマートフォンに替えられないのは、そういう理由もある。
出張に行く時にわざわざ地図をプリントして行くと、必ず「スマホならそんな面倒なことしなくていいのに」と言われる。
でもなんでもかんでもそんな簡単に分かるよりも、事前に場所の地図を調べて(インターネットで検索するから基本はでデジタルだろうが)場所を頭にイメージして印刷する、という行為も全然いいと思ってしまうのである。そのことが不便だとは全然思わない。

 

「豊かさ」=「便利さ」という考えがあるが、私は決してそうは思わない。

ちょっと不便でもその方がいいということもあるのだ。