学生時代に登山をしていた頃に、不思議だなと思っていたことがある。
20キロとか30キロというかなり重い荷物を背負って集団で山を登るのだが、みんな辛く苦しい思いで歩いている中、誰か1人が先にバテて歩くのもままならなくなると、周りはなぜか楽に歩けるようになるのだ。
何度もそういうケースがあって、仲間らもそういう認識であった。
だから登山は「体力」よりも「心の持ちよう」なのだと私は解釈していた。
数年前に家族で登山した時、まだ小学校低学年の娘がかなり辛くなってきたのが分かった。
そこでこの経験を応用し、私がバテたふりをした。
「う~、もう歩けない~」とか「これは辛すぎる~」などと言いながら苦痛の表情をし、何度も立ち止った。
結果、あら不思議。娘は元気になって、最後は駆けるように山頂に着いた。
普段の心の持ちようも似たようなところがある。
「自分は辛い」「なんで自分ばかりこんな目に」と思う場合、自分より楽で、苦労なくうまいことやっている人に対して自分の位置を意識しているのである。
自分よりももっともっと大変な人がいることを認識すれば、気持ち行動も変わってくるはずだ。
2年前に逝去された高橋政巳先生から、「幸」という字は「囚われの身になった人が手かせをはめられた姿」を形にした字であることを教わったときの驚きを思い出す。
家族も自由もなにもかもを失った人の姿を「幸」に充て、逆の視点からの幸せを表現しているのだという。
https://ameblo.jp/kotobuki5430511/entry-12095698392.html
自分自身、いつも意識していることである。