衣笠祥雄さんの話 | 寿建設 社長ブログ

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昨年、かつて鉄人と呼ばれた元・広島カープの衣笠祥雄さんが福島に来られての講演を聞かせていただいた。
現在のプロ野球のこととはほぼ何も知らない私だが、さすがに衣笠選手のことは子供の頃によく見ていたので知っている。


1時間半、まったく飽きさせることなく、流暢な言葉で圧巻の内容であった。

パワーポイント等の画像なしでこれだけ聞かせる講演はなかなかないと思った。

 

一番興味深かったのは、当時万年最下位チームだった広島カープの体質を根底から変えたジョー・ルーツさんという方の話である
1974年、打撃コーチとして広島に入り、一年間どうすればこのチームが生まれ変わるか徹底分析したそうだ。私は初めて知った存在である。
そして翌年の監督就任が決まるやいなや、いろんな改革に着手し、その一つとして1塁手だった衣笠選手を3塁手への転身を勧めたという。


その時ルーツ監督は命令ではなく「ベストナインになりたくないか」という言葉で衣笠さんに声をかけたそうだ。
リーグの各ポジションのトップに選ばれるのがベストナイン。
1塁手は王貞治という絶対的存在があるので難しい。その年、長嶋茂雄が巨人を引退したので三塁手ならベストナインになりやすい、ということからの言葉だったそうだ。
そこで衣笠さんは自分自身が「3塁手になる」と決意する。
命令されたのではなく自分で決めたので、とにかくやるしかないという気になったというのだ。

 

さらに年明けのキャンプ初日に、ルーツ監督は真っ赤な帽子をかぶってきた。
それまでの広島は紺色の帽子だったそうで、当時としてはかなり思い切った派手なイメージチェンジだったそうだ。
監督はそこで
「赤は戦いの色だ。ウチは優勝するだけの実力がある。それだけのメンバーが揃っているんだ。だから最後まで諦めずにトライしよう!」
と意識改革を求めたという。


それまで優勝などしたことがなかったチームが「優勝」という言葉を意識するようになり、そして本当にその年に球団史上初めて優勝を果たした。
その後、赤ヘル軍団と呼ばれ広島は常に上位争いをするようになったそうだ。
(参照)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40005

 

人間の意識のスイッチを入れさせることで行動が変わり、おのずと成果につながるという、経営者にとっては非常に刺激的な話である。