もう四半世紀近く前、岡山県の過疎の町に住んでいた頃の話である。
当時私はその町が町おこしのために作った歴史公園でアルバイトをしていた。
鎌倉時代の村を再現したテーマパークで、山城や武士の館・屋敷・農家などが考証配置され、かや葺き屋根の農家の中では地元のおじいちゃんが当時の衣装を着てわら細工をしたり、染め物をやったりしているのを見学できる施設である。
私はそこで囲炉裏(いろり)にくべる薪を割ったり、団体客に説明をしたりしていた。
ある日、わら細工職人で80歳になる谷本さんが一升瓶にマムシ(そう、あの毒ヘビの)を入れて持ってきた。昔はマムシの内蔵を抜いて身を乾し保存食にしていたのだそうで、それを再現して農家の中に展示するのだそうだ。
「遊びに来るお客さんも喜ぶけえのお」
と岡山弁で言いながら谷本さんは平気な顔でマムシを庭に放し、軽々と木枝で押さえつけた首を左手でつかんだ。喉元のあたりに右手でつまみビヤーっとマムシの皮をむいてしまう。それから内蔵に手をかけ、むしり取ってからこう言ったのだ。
「ハミ(岡山弁でいうマムシのこと)のキモ(心臓)は身体に効くでえ。誰なりか食わんかのう(誰か食べないか?)」
誰も手を上げる人はいない。ならば、と私が手を出した。谷本さんの手から私の手へと渡されたマムシの心臓はパチンコ玉ほどの大きさで、なんとヒクヒクと動いているではないか。
「これはどうやって食べればいいんですか」
「飲み込みゃええんじゃ、飲み込みゃあ」
誰かが気を利かしてコップ水を持ってきてくれた。
口に含むと、舌の上でヒクヒク動くと怖いのですぐに飲み込み、水で流し込んだ。
胃の中にさっきまで生きていたマムシの心臓があると思うと身震いする。
「谷本さん、身体に効くっいうけどいったいどこに効くんです?」
「目が悪い人がこれ食うてすぐ治ったりな、寝たきりのばあさんが元気になったりしたでえ。けえどもなあ、ぬしん(あんたの)ような若ぇ男なら下(しも)の方に効くじゃろうなあ」
と言ってへその下あたりを指差す。一同が爆笑した。
私は自分の身体がどうなるのか、半分の不安と半分の興味でいっぱいになった。
その晩、飲み会があった。酒場があまりない町なので友人の家での集まりである。
そして確かに私の体に異変が起きていた。
酔わないのである。
酔わねば酒ではない、と思っているので当然ガバガバと飲み続けた。結局その夜は明け方3時までに瓶ビールを3ダース飲んでしまった。
この田舎町は夜の集まりが多く、たまたま翌晩も飲み会であった。そしてやはり三時まで日本酒を飲んだが酔わなかった。
夜遅くまで起きているのに朝から元気だし、マムシの効力にはビックリさせられたものである。この効力はじわりじわりと弱まりつつも約1ヶ月続いた。
せっかくのマムシの心臓もそんなことにしか役立たせられない自分は今思えば実に情けない限りである。
今度口にする機会があれば、寝る間も惜しんでボランティア活動をするとか、世のためになることをしようと思う。そのほうがマムシも成仏できるというものだ。