一部の親しい友人から、私は偏屈者扱いをされる。
家にテレビを置かないとか、子供に携帯を与えないとか、その辺が問題らしい。
本人はそれほど偏屈のつもりはなく、あまり深い思想ではないがそれなりに考えがあってのことであった。
子供が小学生の頃、「DS」というゲームを持っていないことを何度も指摘された。
クラスのほとんどの生徒が持っており、それを持っていないと話に混ざれないらしい。
テレビがないだけでもそうなのに、さらに追い打ちをかけてしまうという。
それでも私は買わなかった。
偏屈というよりも、そういう人生もいいと思っていたような気がする。
子供たちは途中からそういう家庭環境に諦めてしまった。
そして息子は、そういうゲームを紙で作るようになっていた。
創造力とはこうして生まれるのだ!と私は自信を持ってますます買わないはめになった。
今のところ子供たちはグレることなく、表面上は仲良く暮らしている。
何でも持っていて、何もかも便利であることが豊かだと思わない。
制約の中でいろいろ知恵を絞ることも人間の特性なのである。