特に震災以降、「絆」という字がいろいろなところで使われ、表示されたりしている。
面白い話を聞いた。
そもそも「絆」という文字は「犬・馬・鷹などの家畜を、通りがかりの立木につないでおくための綱」のことで、「しがらみ」とか「呪縛」「束縛」というような、あまりよくない意味だったのだそうだ。
「絆」を訓読みすると、「ほだし」(パソコンで「ほだし」と入力すると「絆し」と変換できる)と読み、「うっといしい」とか「人の心や行動の自由を縛るもの。自由をさまたげるもの。」という意味なのだ。
われわれの持っている「絆」のイメージとは全然かけ離れているではないか。
香川県の中1の女子生徒が書いた「『うっとうしい』をこえての『絆』」というこんな文章があった。
「女子って、めんどくさい。」
そう思ったのは、中学校に入ってすぐだった。トイレに行くのにも、教室移動のときも、登下校もずっといっしょに居ないといけない。たまには一人で居たいときもあるのに。
ある日私は、そんな思いをママにぶつけてみた。するとママは、お皿洗いをしていた手をとめて、「ここに『絆』って字をかいてごらん。」と、ホワイトボードを指さし、言った。そして私が『絆』の字をかくと、ママはその横に『し』とつけたした。
「『絆し(ほだし)』っていうのは、『うっとうしい』って意味なの。みんな『絆し』をのりこえて『絆』をつくるんだよ。」と言った。
心がスッキリしたような気がする。ママありがとう。
だから私は、そんな関係を友達とつくりたい。ママと私のように。
「絆」の認識が変った。