喜多方の高橋政巳さんが逝去された。
政巳先生(私はそう呼ばせていただいていた)は、樂篆家(らくてんか)と名乗り、漢字文化を広めるためのさまざまな活動をされていた。
詳細はこちら
http://www.fm-kitakata.co.jp/takahashi/
2007年にとある会で初めて先生による「漢字」に関する話を聞いて、衝撃を受けたのを今でも思い出す。
漢字一文字一文字には、古代中国人の考え方やメッセージが宿っているということが驚きであった。
特に、「幸」という字のメッセージは感動を覚えた。
以下、政巳先生のブログより転載
******
漢字の多くは、今から3000年から4000年も前に、
形や情景のイメージから生まれた象形文字である。
さらに、いろいろな意味をもつ字を組み合わせて
新たな別の字も生み出している。
古代の人々の観察眼、デザイン力、物事の考え方の
深さに驚かされる。
その極めつけが、「幸」という字なのである。
というのは、あなたが“幸せ”を字で表すとしたら、
どんな字を作るだろうか。
きっと、人それぞれ、自分の幸せ感をもとに字を
作ろうとするはずである。
しかし、あなたが作ったその“幸せ”を表した字は、
はたして他の人に通じるだろうか。
あなたがもし、「お金がたくさんあること」を幸せだと
考えて「¥¥¥」という字を作ったとしても、「愛が
たくさんあること」や「健康であること」を幸せだと
考えている人にとっては、ちっとも“幸せ”ではない。
「¥¥¥」というのでは、たくさんの人が納得して
通じるような“字”とはならないのである。
つまり、人それぞれ幸福感は十人十色。
それに、個々人のなかでも、幸せと思う瞬間は
さまざまなバリエーションがある。
そんな幸せをたった一文字で表すのは、とても難しい
ことだったに違いない。
そこで作り出された字がこちらである。
これは人が囚われの身になり、手かせを
はめられた姿である。
囚われの身になって、自由を奪われ、家財も失い、
家族や恋人とも一生会うことができず、苦しみと
悲しみのなか死の恐怖にさらされる・・・・・・。
幸福感があまりにもまちまちなので、“幸せ”を
表すために、誰にとっても“幸せ”とはいえない
最大の不幸のイメージを用いたわけだ。
このダイナミックな発想の転換は、目からウロコの
鮮やかさである。
今も昔も、もっともっと幸せになりたいという願望は
限りがない。
本当は幸せなのに、自分が手にしている幸せに
気づかず、青い鳥を探して道に迷ってしまうこともある。
しかし、「幸」という字の語源を知ったなら、見失いがちな
大事なことにハッと気づかされるはずだ。
「こうならなくてよかった!」という不幸の姿を見せられる
ことで、何がなくても、私達には自由があり命がある。
それはなんと幸せなことであろうかということを教えて
くれる字なのである。
http://ameblo.jp/takahashi-masami/entry-10411068092.html
******
それからその講演会の主催者に無理を言って紹介いただき、当社の社員研修でもご講演をお願いした。
http://blue.ap.teacup.com/kotobuki/72.html
以降、年に何度かであるが、おつきあいさせていただき、字を書いてもらうこともたびたびあった。
先生にはまだまだやりたいことがたくさんあり、こんな私にも協力の依頼をいただいていたところであったが、何一つお手伝いすることが出来ず、本当に悲しい。
もっともっと漢字に関する情報を発信しようと、政巳先生は一年前にHPを新しくさせている。
今さらながら、政巳先生のいろんなメッセージが胸を打つ。
http://www.rakuten-kobo.jp/
先生の3つの著作、「感じの漢字」「感じる漢字」「漢字の気持ち」(共著)はとてもびっくりすることだらけの面白本なので、ぜひおすすめしたい。
http://www.rakuten-kobo.jp/profile/book.php