漢字の多くは、今から3000年から4000年も前に、
形や情景のイメージから生まれた象形文字である。
さらに、いろいろな意味をもつ字を組み合わせて
新たな別の字も生み出している。
古代の人々の観察眼、デザイン力、物事の考え方の
深さに驚かされる。
その極めつけが、「幸」という字なのである。
というのは、あなたが“幸せ”を字で表すとしたら、
どんな字を作るだろうか。
きっと、人それぞれ、自分の幸せ感をもとに字を
作ろうとするはずである。
しかし、あなたが作ったその“幸せ”を表した字は、
はたして他の人に通じるだろうか。
あなたがもし、「お金がたくさんあること」を幸せだと
考えて「¥¥¥」という字を作ったとしても、「愛が
たくさんあること」や「健康であること」を幸せだと
考えている人にとっては、ちっとも“幸せ”ではない。
「¥¥¥」というのでは、たくさんの人が納得して
通じるような“字”とはならないのである。
つまり、人それぞれ幸福感は十人十色。
それに、個々人のなかでも、幸せと思う瞬間は
さまざまなバリエーションがある。
そんな幸せをたった一文字で表すのは、とても難しい
ことだったに違いない。
そこで作り出された字がこちらである。
はめられた姿である。
囚われの身になって、自由を奪われ、家財も失い、
家族や恋人とも一生会うことができず、苦しみと
悲しみのなか死の恐怖にさらされる・・・・・・。
幸福感があまりにもまちまちなので、“幸せ”を
表すために、誰にとっても“幸せ”とはいえない
最大の不幸のイメージを用いたわけだ。
このダイナミックな発想の転換は、目からウロコの
鮮やかさである。
今も昔も、もっともっと幸せになりたいという願望は
限りがない。
本当は幸せなのに、自分が手にしている幸せに
気づかず、青い鳥を探して道に迷ってしまうこともある。
しかし、「幸」という字の語源を知ったなら、見失いがちな
大事なことにハッと気づかされるはずだ。
「こうならなくてよかった!」という不幸の姿を見せられる
ことで、何がなくても、私達には自由があり命がある。
それはなんと幸せなことであろうかということを教えて
くれる字なのである。
漢字が生まれてから、長い長い時間を経ている。
生活様式も変わっているし、コミュニケーションの
手段も多様化している。
しかし、自然の形や人間としての大事なことは
何ひとつ変わっていないのだ。
この「幸」の語源を知ったとき、私は漢字の虜に
なってしまった。
さて、みなさんはいかがだっただろうか。