視点を変えて物語を繋いでいく | 寝ぼけ眼のヴァイオリン 寿弾人kotobuki-hibito

はあ、やっと制作中の長い物語のふたつめのエピソードが終わりました。

終わったっていうか、当初の想定ではまだ終わっていないのですけれど。

 

本当にどうでもいい話なので、たまたま読んでしまった方には申し訳ないのですが、このブログ、自分のための記録と感情を吐き出す場所なので、ごめんなさい。

 

ひとつめのエピソードのサブタイトルは「邂逅」。メインの主人公ふたり、少女と女性弁護士の最初の出会いです。

 

そしてふたつめのエピソードのサブタイトルは「悔恨」。(ちょっとカッコつけて二字熟語を配しております。私の敬愛する動画制作者さんをパクったものですが、それは内緒笑)

これは少女の母親と不倫してしまった担任教師のお話。不倫だけならまだしも、その過ちによって担当クラスの生徒(不倫相手の娘さん)が家出をするという結果になります。本当の事情は実は微妙に違うのですが、それはまだこの教師は知る由がない。

不倫もばれて、少女も家出という結果を受けて、この教師は、教職や家庭を失っても、生徒に誠実に謝りたいと決意する。この人、教師という職業にそこまで誇りを持って生きてきたんですね。

このふたつめのエピソードは、最初のエピソードのおよそ3週間前から始まります。そこに不倫に至るまでのなれそめとか、なぜそうなったかというさらに過去の回想を、私としては精いっぱいのエッチっぽい空気を漂わせながら、挟んでいます。

 

このエピソードを書き始めたときの想定では、この教師のエピソードは、もっと先まで書くつもりだったのです。

というのも、時間的には、最初のエピソードから3週間前にさかのぼって始まったエピソードですから、最初のエピソードと同じ時間まで話を進めた方がいいよなあ、と思っていたのです。

 

ところがね、書いていたら途中で「うーん、もうこの教師の話、そろそろいったん終わりにしたくない?」って感じになったんですよね。

 

これってすごく大事なのです。

書く人にも都合がありますが、読む人は書き手の都合なんてどうでもいいのです。読み手にとっては何の意味もない。

で、どうやら読み手の自分が明らかに「これ以上、この調子で話を続けても、なんか飽きてきた」って言っているんですよね。

これはほぼ絶対に従った方がいい心の声、なのです。

こういう心の声が聴こえなくなったら、いくら書いてもそれはほぼ時間の無駄。

 

こういうときは、素直にそれに従うべし。

理屈であえて分析すると、これ以上、書き続けると、最初のエピソードのメイン主人公のふたりとのバランスが悪くなる。感覚的に「え、この教師が主人公なの?」となってしまうということだと思います。「誰の何のお話だか、分からくなってきた」という苦情が出てくるということです。

 

で、じゃあどうしようかなーと考えていたのですが…。

 

今度は別の新しく登場する人物の視点で、この教師のその後の情報も入れられるかな、と思ったのです。

ズバリ、真打ち!主人公の少女の父親にして、一見地位もある常識的な銀行マンにして、その実、身勝手な溺愛のあまり実の娘に性的虐待をしてしまう支配欲の強い屈折した異常者!

そう、大魔王の降臨です!

 

物語の立ち上げの段階である序盤で、ラスボスを、しかもラスボス語りで登場させてしまう、というのはかなりの高難易度の試みではあるのですが、うむ、ここはやってみる価値はあるのではないか、と思ったのです。

とはいえ、相当、取り扱い注意、なんですよね。

 

なにしろ大魔王の本当の心の闇は、物語が進むにつれて、だんだんと明らかになっていかないといけません。

最初は虫も殺せない人として登場して、だんだん、その異常性が示されて、見ている人が「ぞわぞわー」っとするのが、この物語の軸となる見せ所の一つですからね。どこにでもいる常識人の顔にひびが入って、小さな欠片が落ちて、なんか変と思ったら、次には髪の毛がごそっと抜けて、気持ち悪いってなって、次に歯がぼろぼろ抜けて皮膚が剥がれ落ちて、その向こうに漆黒の闇が現れて、そしてこちらを見てにやりと笑う。キャー――ッ!!!

ってなるのが理想なのです。

まあ、ホラーものの語り口。

生理的な嫌悪感も煽らないとね。

 

そのためには、初登場の大魔王は、いかにも平凡な虫も殺せぬ常識人でーす!って見せないといけない。

 

では、どうするのか?

 

ここはあれでしょう!

「必殺!都合の悪いことは触れない、語らない、戦法!」

 

つまり、嘘は言っていないんだけど、都合の悪いことを伝えないことで嘘の印象を読者に植え付ける。

この手法は推理小説ではよく行われますし、マスメディアもニュースでやっていますよね。ニュースで伝える内容は真実なのだけれど、伝えるべきほかのニュースや事実をまったく伝えないことで、偏った真実でない印象を与え、国民を洗脳していくという技法。

物語を語る中では、意外とよく使われる戦法なのかもしれません。

 

ということでみっつめのエピソードは、ラスボス視点での物語。

これはなかなか神経を使います。

とはいえ、実際、性的虐待をしている父親のある程度は、こういう「お堅い職業についていて、真面目な人」というのが本当のことなので、それをそのまま描けばいいのかなと思ったりしています。

 

みっつめのエピソードが終わったら、ようやく主要登場人物がそろい踏みしたことになります。

ようやく序章、というか、物語の最初のお膳立てができあがるということ。

 

なかなか大変ですなあ。