小澤征爾さんと「クラオタ」だった私 | 寝ぼけ眼のヴァイオリン 寿弾人kotobuki-hibito

いやあ、いろんな人が亡くなります。世界的マエストロ、小澤征爾さん逝去。

 

告白しますと、実は私は長らく指揮者としての小澤さんを馬鹿にしていました。

いまでは本当に「お前は何様なんだ?」とかつての自分を恥じていますし、若い頃の自分と会ったら「何もわからない奴ほど、そういう浅い考えを平気でするんだよな」と思い切り嘲笑してあげたい。

 

私は長いことクラシックオタク、通称クラオタ、でした。何か楽器をやっていたわけではありません。もっぱら聴くのが専門です。中学生になると、お小遣いは全部、クラシックのレコード購入に使い、お金の換算も、レコード枚数で計算していたほどです。最新リリース(当時は「新譜」と言われていました)のレコードは一枚2500円。欲しい新譜レコードを買っては、気に入らなければ中古レコード店で売り、そのお金でさらに「名盤」と呼ばれる中古レコードを買い漁る日々。

 

当時の日本のクラシック音楽評論家には、宇野功芳さんという有名な方がいました。(すでに亡くなられています)

この方、名盤と言われる歴史的なレコードのジャケットの解説文を軒並み書いていまして、その文章がすごい激情的で煽情的なものだったんですよね。当時のクラオタには、熱狂的な「宇野信者」が生まれて、かくいう私もすっかり染まっていました。

この宇野さんの影響もあって、長らく私は、あの有名な指揮者、カラヤン「以降」の指揮者については、「聴く価値なし」「うわべだけの演奏」「何の工夫もない」と断言するくらいに嫌っていました。

クラオタでない人にとっては、どうでもいい話なんですが、カラヤン以前の時代には、間違いなく、超伝説的な指揮者や演奏家がやまほどいたんですよ。その筆頭が、カラヤン以前のベルリンフィルハーモニーの黄金期を作り上げたフルトヴェングラーという指揮者です。この人の演奏は、いま聴いても個性的で魔法のよう。誰にも真似できない個性と説得力と熱量があって、残された記録の音質は最悪なのに(なにしろ戦時下の1943年とかのテープ録音)、いまでも世界中で聴かれていている人です。(ベートーベンの第九や第五、第七は、いまでもこの人のCDをベスト盤にする人は少なくありません)

 

というわけで、小澤さんもカラヤン同様、ちょっと馬鹿にしていたんですよね。なにしろ、小澤さんはカラヤンのお弟子さんだったこともありますし。

 

小澤さんを論評する資格なんて、いまも私にはないのだけれど、追悼もかねてちょっと語りたいです。

 

小澤さんの演奏は一回だけ生で接したことがあります。1994年くらいだったかな、まだボストン交響楽団におられたときで、私はニューヨークへ単身、休暇旅行に行っていて、カーネギーホールで聴きました。

リヒャルト・シュトラウスだったと思う。

印象は、とても精緻で繊細で丁寧な音楽だったというものです。一音一音が丁寧で見事にキラキラ輝いているのだけれど、全体のダイナミックさには欠けるという感じ。「ああ、小澤さんって日本人なんだな」と感じたのを覚えています。日本の職人さんが作る精緻な世界。

その後の小澤さんの演奏をCDで聴いても、いつもそういう印象が残りました。丁寧で精緻で温かみもあるんだけれど、どきどきわくわくしない。だから武満さんの現代音楽なんかは、本当に小澤さんの演奏にぴったり合っていたのだと思う。

その後、日本人初のウィーン国立歌劇場の総合監督に就任するも、地元ウィーンの聴衆の人気はいまひとつ。さらにウィーンフィルのニューイヤーコンサートにも登場しましたが、かなりの違和感。ウィーンフィルは、ウィンナワルツでしたら、指揮者なしで「これぞウィーン!」という音楽を奏でられるのですが、小澤さんは細かく丁寧に指示を出して、ウィーンフィルの面々はちょっと窮屈そう。だけれど、そこは小澤さんの人徳なのでしょう。人柄が楽団員に愛されているので、彼らもあえて小澤さんと一緒に音楽をしたかったのではないか、と想像したりしてしまいます。

 

しかし、私も41歳で遅まきながらヴァイオリンという楽器を自分で学ぶようになり、それから15年以上たつと、かつてそんなふうに小澤さんを評していた自分が本当に恥ずかしく思えるようになってきました。

演奏家は誰でも、歯を食いしばって毎日練習をし、人生の時間のほとんどを音楽に捧げて、つまりものすごい犠牲を払って、ようやく舞台に立っている、ということが理解できるようになったから。

私はたいした犠牲を払っていないので、ヴァイオリンもたいして上達しませんが、とにかくそのことだけは分かるようになりました。だからさ、「あの指揮者はさ」とか「あの演奏のこの部分はさ」とか、そういうことを大昔の自分はたくさん言って「自分はクラシック音楽に詳しいのだ」なんて思っていたわけですが、今になるとそういうのが本当、嫌だなあと思うわけですよ。

本当、自分で音楽をやった経験のない、熱狂的なクラシックファンって、ろくでもない奴が多い。

もう棺桶に片足突っ込んでいる歳だけれど、自分もようやくこの歳で大人になった、のだと思う。

 

で、小澤さん。

やはりね、当たり前ですがすごい人なのですよ。

敗戦後の焼け野原の中で、オーケストラさえろくろくなかった時代に、彼は体一つでヨーロッパへ行っちゃうのです。武器は、それまでに日本で学んだ指揮法だけ。大した計画もなく!もう放浪旅行ですよ!

そんななかでも「自分は絶対指揮者になれる!」と疑わず、実際にそれを勝ち取った人。

国際コンクールで優勝して、カラヤンに目をかけられていた時期の小澤さんの演奏の映像が残っていたりしますが、それはもう、すごい迫力なんです。音楽の持つ熱量が半端ではない。

それにね、彼がやはりすごいのがその人間性ですね。

クラシック界をありのままに描いた傑作「のだめカンタービレ」でも出てきましたが、クラシックのマエストロは性的破綻者が異常に多いのです。(一方でジャズミュージシャンは薬物中毒者が多い傾向がある)音大でも教授と生徒の色恋沙汰は日常茶飯事だというし、女と見れば片端から口説くマエストロやら(例えばシャルル・デュトワさん)、小児性愛者で教え子を次々と毒牙にかけるマエストロ(例えば、ジェームズ・レヴァインさん)もいる。人間的にも破綻している世界的マエストロばかりのなかで、小澤征爾さんは本当、最後まで数少ないまともな人だっただろうと思います。

それは音楽家としてどうこう以前に、やはり人としてすごいことだと私は思うのです。

 

もし天国というものがあれば、どうか小澤さんが天国へ行きますように!

そして若かった頃の俺!少しは反省しなさい!