松本人志さんの報道で思うこと | 寝ぼけ眼のヴァイオリン 寿弾人kotobuki-hibito

はあ、疲れるなあ。小説書くの。

汚いヘドロの海に無事、ダイブしたのはいいんだけれど、新しい登場人物だとまた最初の書き始め、みたいなものだから神経使うんだよね。いまはまだ、こうした物語の立ち上げが延々続くから、げんなり。爽快感ゼロ。

 

ということで気分転換に、雑談します。

世間が馬鹿みたいに騒いでいる松本人志さんの報道についてです。

 

まず、私の個人的な立場から言うと、全面的に週刊文春を擁護します。

 

ヤフーニュースのコメント欄を見ると「マスゴミが!」とか「売りたいからって、週刊誌はなんでもしていいと思うな!」とか「ああいう下劣な週刊誌はなくなれ!」とか結構、目にするんだよな。

 

この人たちって、どういう年代の、どういう人たちなんだろ?

日頃何考えて生きているのかな?

ニュースとか見ているのかな?

 

というのは、マスメディアに日頃関心があって、ちゃんとニュースに関心を持っている人なら、この十年の週刊文春の報道は、称賛以外の何物でもありません。利権で腐敗して機能しなくなった政界について、この週刊誌は独走状態でスクープを連発しています。そして恥ずかしいことに、大手の新聞もテレビメディアもそれを後追いで追いかけて、知られていない社会の暗部が次々と明らかになってきました。本当、枚挙に暇がありませんよ。

もし週刊文春という雑誌が日本になかったら、と考えると私はぞっとします。北朝鮮ほどひどいとは言わないものの、ロシア並みに政権や財界権力者の都合のいい情報だけが垂れ流され続けていたでしょう。安倍政権は、情報操作と言う点では天才的な仕事をしてきましたが、この政権下では、あまりに情報統制が素晴らしかったので、重大な疑惑はうやむやにされ、能天気な日本国民は「なんとなく安倍さんに任せておけば安心じゃね」と騙されていました。そもそも「美しい国」なんてスローガン、どう見たって詐欺商法の匂いがするのにね。

週刊文春に「正義感」があるとは言いません。そもそもジャーナリズムは正義感とは無縁のものです。ジャーナリズムは国民の眼から隠されていることについて、「何があったのか」を調査し明らかにする仕事です。人々を煽動するのはジャーナリズムではありません。

そして、何があったか知ったうえで、それをどう捉えて行動するかは個人の自由です。

しかし何があったかしる術もなく生きていたら、これは奴隷と一緒です。

 

今回の松本人志さんの話は、一見、どうでもいい話のように思えます。つまり、有名芸能人の下半身事情。

だから、多くの人は「プライベートな話だろ!そんなに金儲けしたいか!」とか「週刊誌は下種だからなくなれ!」なんてことを言い出すわけです。あとは松本さんという天才芸人が好きなんでしょうね。

 

でもさ、この話って、芸能人が結婚したとか、熱愛中を激写とか、ダブル不倫を捉えたとかいう、本当にどうでもいい話とはまったく違う話なのです。こういう芸能人スクープというやつは、誰も被害者がいない。逆に言うと、「そんなこと、わざわざ報道しないでそっとしておいてあげればいいのに。週刊誌って最低だな」と思うのが正しいと思う。多くの国民がこうした下種な噂話が大好きなろくでもない人間性を持っているから、こうした記事が商売になる、という都合の悪い真実には目をつぶったとしても。

 

しかしこの松本さんの話には被害者がいるのですよ。

だから週刊文春は、訴訟を覚悟でキャンペーンをはった。その判断はジャーナリズムとして正しいと私は思う。

 

この「被害者」についても世間ではいろいろ言う人がいる。

曰く、「いや、松ちゃんははめられたに決まってる」とか「この女は金目当ての売名行為だ」とか。

もちろん美人局(つつもたせ)や最近使われるハニートラップという詐欺行為は、太古の昔からあるわけで、この「被害者」が本当に被害者なのかは私にはわかりません。ただだからこそ、週刊文春は裏どりをしっかりやって、堂々と裁判覚悟で書いているというわけです。

 

そして、がっかりするのは多くの国民がまったく学ばないことです。

これね、あのジャニーズ事件とまったく同じなのですよ。

 

十年前だか、週刊文春はジャニー喜多川さんの児童への性虐待を特集し、裁判になりました。唯一、この事件を真っ向から取り上げたのが週刊文春でした。

裁判はジャニー喜多川さんの性加害行為を認定しました。にもかかわらず、大手新聞でも大手テレビ局でも、ご立派な(皮肉です)社会部は「どうせ、芸能界のスキャンダルでしょ」とまったく取り上げなかった。(私はNHKの報道の内部にいた人間なので、この感覚は容易に想像できます)

そして去年になって、イギリス公共放送BBCが特集番組を作り、外国人特派員による被害者への記者会見が開かれ、国連が調査に入る、となってようやく「あ、対応間違った!やべえ!何とかしなきゃ!」と大慌てで反省するふりをし始めたわけです。(一部の誠実な社会部記者は、いま必死に猛省しています)

 

セックスによって心を破壊される、ということに無頓着な馬鹿がいかに多いことか!

 

この事件があったからこそ、今回の松本さんの「被害者」は週刊文春に垂れ込んだのだと思います。

警察に行っても何もしてくれないし、ほかのメディアに話しても何もしてくれないけれど、週刊文春なら、この傷つけられた心を理解してくれるのではないか、と思ったということでしょう。

そしてその心の叫びを受け止めた週刊文春は、彼女らのために一緒に、徹底的に戦うことを選んだわけです。

 

これはね、立派な、覚悟のあるメディアしかできないことです。

 

この間、この松本さんの「合コン」をお膳立てしたという芸人さんがラジオで語っている動画を見ました。

彼曰く「パーティーはあったのは事実です。でもそれは合コンみたいなもので、楽しく過ごしたということで、犯罪ではありません。そりゃ、不倫はよくないですけど。でもただの楽しい飲み会についてなんでこんなに言われなきゃいけないのか」

 

うーん、問題は根深いです。

というのも、この芸人さんは女性のセックスの何たるかをわかっていない、というのが露呈しているから。

ワンナイトラブは、男にとってはたいしたことではないのです。お酒飲んだり、おいしいものを食べてわいわい騒ぐことの一環でしかない。

でもね、女性にとってはそれはそのまま当てはまらない。もちろん、ムラムラするから男を漁りに行く女性もいるでしょう。でもさ、女性はたいていセックスに心がついて回るのです。「心なんて関係ない。性欲だけのセックス」と豪語している女性がいたとしても、セックスは心と切り離すことができません。人間関係のないなかで、誰とでもセックスする、なんてことをやっているとどこかで心の健康をやられます。女性の場合、それは自傷行為と同じだからです。男の性行為にはこういう感覚はないんですよね。何度も言いますが、おいしいものを食べるとの同じようなことです。「ああ、うまかった」とか「最高だった」とかいう満足感はありますが、男はセックスで自らの心を危険にさらすことはないのです。

 

だからさ、この芸人さんが「楽しく過ごしたということで、犯罪ではありません」と言い切っているのがヤバいのです。

「あなた、相手の女性の気持ち、本当に分かっていた?」

「モノみたいに調達されて、セックスの道具みたいに扱われたその侮辱的な行為への悔しさ、理解できないの?」

「人としての尊厳が踏みにじられる気持ちが想像できないんだね」

 

まあさ、一般的に男と女は本当に理解しあうのが難しい生き物です。

だけどさ、セックスは女性に幸せも与えるけれど、女性の心を傷つけることもあるんだって、もっと多くの人に知ってほしいものですよね。

週刊文春の本当の想いはそこにあるのではないか。

うーん、これはちょっと、さすがに週刊文春さんを誉め過ぎかな?