みんなで空を見た日 | ことぶき・ちゃちゃちゃ

ことぶき・ちゃちゃちゃ

難治性てんかんドラベ症候群(乳児重症ミオクロニーてんかん)と闘う娘のことぶき。
顔だけで結婚を決めたイケメン(だった)B型の旦那さん。
私は普通の主婦です。
家族みんなで頑張っている闘病日記です。

久しぶりに、連続でアメンバーじゃない記事にしてみてる。


いま、6月23日はドラベ症候群の日の啓発活動で、色々細かい業務をしてるんで


何か立ち止まって考えることが多くなります。


立ち止まってる暇はないのだけども。


DFKに参加した方からの感想に、会に感謝してるとか書いてくださってるのを見ると、本当に嬉しい。


もっと書いて。大袈裟かなと思うくらい、うちの会を褒めて、と思ってるので、機会がありましたら、わざとらしいくらいにお願いしますね←


4月最後の日。


私の大好きなお友だちママのお子さんが、亡くなりました。


静岡てんかんセンターで長期入院を一緒に頑張ったお友だちです。


我が家がちょこちょこ長期で入院しているとき、外来で来たよーって、ママは両手にいっぱい差し入れを持ってきてくれて


ことぶきより少し年上のお兄ちゃんで、いつもバギーに乗ってるお子さんで


イベントごとに、何かしらバギーに付けていて、バギーでの生活をも楽しんでる親子だった。


病院のご飯を、毎朝ママがミキサーにかけて食べれるように調整していて


お子さんの発作が多いときは、誰もいない部屋で泣いているのが聞こえた。


それでも私たちにはいつも全力の笑顔で、ママの口癖は『こっちゃん、さすがです』


いつもことぶきを褒めてくれていた。


お友だちママの気持ちを考えると、言葉にならなかった。


亡くなったって…どういうこと…。


静岡での検査入院を、日程を合わせて、4階と5階になっちゃうかもだけど、久しぶりに会えるよねーーなんて、つい最近、話してたばかり。


あーー悲しすぎる。もう嫌だ。


また会おうね。って、そんなに難しいことじゃないはずのことが、叶わないことがある。


私は何度も、何度も、経験してきた。


ドラベ症候群の診断があったばかりのときも、大阪にドラベの子がいて、みんなで会おうって約束してすぐに、亡くなった。


静岡てんかんセンターで、一緒にお散歩した大田原症候群のお友だちは、主治医が一緒で、ケトンがうまくいくかも知れないなんて話をしてて


頑張ってねーまたねーって言ってたら、亡くなった。


その後も、ドラベのお友だちとも、静岡てんかんセンターのお友だちとも、たくさんの別れを経験してきた。


難治性てんかんって、そういう病気なんだよね。


亡くなったと連絡がきて、お葬式の日は、仲間みんなで空を見上げた。


いつも明るい太陽みたいなママが『千恵ちゃん、一緒に泣いて』とLINEしてきた。


DFKも小児神経学会も、てんかん勉強会(これは地元で明日開催)も終わってからと思ってたので、近いうちに会いに行くよ。


待ってて。