4日間ほど、いい感じに落ち着いていた目ぱちからのミオクロニー重積があり
学校から運ばれてきました。
意識のないミオクロニー重積(部分発作群発とも取れる?)のため、ブコラムを使うかどうか。
強直発作にはなってないから、どうしようかと悩んでいたら
少しずつ落ち着き、意識も戻り、単発ミオクロニーになりましたが
あーーーーぁ、戻っちゃった。
と言うのが正直な気持ち。
普通のドラベに近づいていくような、そんな予感がしてたのに
目ぱちの嵐に、ガクガク引っ張られるミオクロニー。
ミオクロニー重積になるのも、時間の問題ですから、次が来たらもうブコラムを使ってもらいたいとお願いしました。
そもそも、ミオクロニー重積と痙攣の何がどうか違うのか。
家ならダイアップ案件だわ。
夕方STに行くと、先生とエレベータに乗った瞬間に激しいミオクロニー。
そのままミオクロニー重積になり、意識がほとんどなく
処置室に運びました。
治験担当の先生、主治医、他の先生、そして治験担当の薬剤部の方も見にきて
もうブコラム使おうということになりました。
主治医が電気を付けると、そのまま声をあげて左半身強直発作になり
口腔内投与で治験のため、吸引やら、採血やらがバタバタと始まりました。
やっぱり何度も思いますが、処置に対しては大発作になると見ていられません。
看護師さんも先生も、一生懸命して下さっているのは分かっていますが
『……早くして、早くして(早く止めて)』と声に出して言ってしまいました。
投与後しばらくして、痙攣は止まりましたが
まだ左半身がガクガクっ!となったり、引っ張られてるような感じもして
止まりきってないかも??と見守っていたら、痙攣が始まってから6分後に
『○○さん(そこにいた看護師さんの名前)』と声が出ました。
部屋に帰ると、同室の中田さん(※仮名)がカーテンを閉めて、部屋の電気を暗くして待ってくれていました。
同室に看護師さんがいるようです。
ドラベ仲間は、痒い所に痒いと言ってなくても手が届きます。
その後は、モニターをつけて心電図を録ったり、血液検査をしたり
また数時間後にモニターつけて、血液検査して
でも夜22時の分の心電図と血液検査は、寝てしまっていたのでスルーしてくれました。
静岡てんかんセンターで、2人目のブコラム治験を
未来のドラベ児たちの為に、先生や看護師さん、治験担当の薬剤部の方が
そして、ことぶきも頑張りました。
中々止まらないドラベ症候群の痙攣発作に、すぐ走ってくれない救急車。
地域によっては、病院の受け入れも中々決まらない。
みんなが命を守りたいと思っていて、ドルミカムを持ってる子もいるのに
持たせてもらえない子との、命の差は何だろう。
『鼻注ドルミカムを、希望するみんなが持てるようにしたい』
第1回DFKの後に、ドラベラインで発信した時に
現ドラベ症候群患者家族会の代表が『やりましょう』と声をかけて下さって
ブコラム早期承認の為に、頭の良いドラベの家族たちが一生懸命、寝る間も惜しんで頑張ってくれました。
そしてやっと、ここまできました。
どうかブコラムが1日も早く承認され、せめて小さい子どもたちが重積発作で苦しむことのないように
予後が悪いと書かれている『ドラベ症候群』が、もう少し明るい予後に変更になる日がきますように。
さ!ブコラム治験も終わったことだし、フィコンパそろそろ実力を発揮してよーー!!
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