時代とともに社会も言葉も変化します。ところが、日本に上下関係に基づく社会関係がある限り、敬語は決してなくなりません。変化するのはきちんと敬語が使える相対人数(日本語を話す人全体のうち敬語をきちんと話せる人の人数)です。
私の両親は京都府の小学校教員だったため、「先生には、必ずですますを使って話すんやで。」と言われ、遅くとも小1からずっとそうしていたし、それが当然だと思っていました。ところが、いざ自分が大学を出る直前から塾に勤め始めると、生徒(小4~高1)が敬語を使わないことに驚きあきれてしまいました。その後高校で教え始めましたが、やはり生徒は敬語を使いません。「敬語を使いなさい。」と言っても、生徒との関係がぎくしゃくするだけなので、こちらもあきらめてしまいました。神戸の専門学校に勤めると、学生が大学生と同じ年齢ということもあって、さすがに大半の生徒が敬語を使っていて、ほっとしたものです。これは私が育った時代と生徒・学生の育った時代の差、または生徒・学生の年齢の差(高校までは先生に敬語を使えないが高校を卒業すると使える)かな、と思ったりしました。
その後、私はアメリカのミシガン州の日本語補習校に勤めました。ミシガン州には自動車関連企業を中心に日系企業が進出していて、日本語補習校に通うのはほとんどが日系大企業に勤める親をもつ生徒たちです。まず小学生高学年から担当しましたが、驚くことにみんな自然に敬語を使います。補習校での勤務が長くなると小1から高3までのいずれかの学年を担当しましたが、生徒は学年を問わず当然のように敬語を使います。例外は片親のみが日本人である生徒でした。
こうしてようやく気がついたのは、日本語を母語とする親の敬語に対する意識で子どもが敬語を使い始める年齢に差が出ることです。私が大学を出たころはちょうどバブル経済の頃で、比較的就職もしやすくどこの家庭も子どもを塾や高校以上の学校に簡単に通わせる経済的余裕があり、普段敬語を意識して使うことのない親をもつ子どももたくさんいました。一方、両親が二人とも日本人で、特にいずれかの親の海外赴任のため家族ぐるみで海外に来ている場合、子どもは親が会社の上司と電話でやりとりするのを日本にいる頃から聞いているので自然に敬語が身につきます。ところが、母親が外国人と結婚して海外に住んでいて在宅の場合、子どもは普段親が敬語を話すのを聞くことがないため身につきません。父親が外国人と結婚して海外に住んでいる場合、家の外で働くことが多く、敬語はおろか日本語そのものがなかなか身につきません。
将来、日本の学校に通う場合、帰国生入試が課されますが、小論文の他に必ず日本語面接があり、どれだけ日本語、敬語が身についているかが試されます。日本の中高一貫校等の面接のねらいも同じです。また、敬語は社会に出てからも必要なので、子どものうちから身につけておきたいものです。言葉は読んで書き、聞いて実際に話してこそ身につきます。敬語も同じです。
私が今勤める、通学制・オンライン通信制作文小論文教室「言葉の森 」では、自宅で先生からの電話指導で自然と敬語を話す練習ができ、作文を書き、長文読解をします。しかも日本中、世界中どこでもいつからでも受講が開始でき、中高一貫校・帰国生入試にも対応しています。毎月末に先生との電話面談があるのでおうちの方が敬語を使うのをお子さんが聞いて身につけるチャンスも得られます。