柱を見直す | もう一つの言葉の開発ノート

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うすいしんすけブログ〜それでも地球は僕らを乗せて回ってる〜

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最近ちょっとした腰痛がきっかけで整体に通っている。
腰痛自体はすぐ治ったけど
チェロ弾きなんかやってると至る所の骨格が歪んでヤバい事になっているらしい。
それならばと
肩や腕を始め、首なども一つ一つ治しているところだ。

骨格を治すことは身体の歪みを治す事のみにとどまらず
普段は当たり前のように思っている色々な「ネガティブ」を解消してくれる。

腕が上がるようになるとか肩こりが治る
などはまだ想像出来るが
全く関係ないと思っていた持病の偏頭痛にも大変効果があり
それさえもほぼ治ってしまった。
問題は体質というより、骨格の歪みがそのような体質を作ってしまったと言える。

骨を正しい位置に据えることで色んな事が正常に機能する。
逆に機能していないから無理が生じ、その現象として色んな所が悲鳴を上げる。
シンプルに言うとそういうことだろう。

しかし
体操しても硬くなった腕が上がりにくいのは歳のせいだとか
ほぐしてもすぐにこる肩こりは職業柄しょうがないとか
薬を飲んでも治らない偏頭痛は持病でどうせ一生の付き合いだとか
色んな現象をネガティブな状態で
受け入れてしまっていた。
「無理だ」
ということが当たり前になってしまっていた。
これは身体の仕組みに関わらず
色んな事に言えるのではないかと思う。

日常の中で
そんな事は絶対不可能だと思いこんでいる困難なことも、実は不可能が当たり前ではないのかもしれない。
骨格を物事の柱だとすると
案外その事象のみに執われず、ちょっと視点を変えて
シンプルにその奥にある柱を見直すことで可能になることも多いのかもしれない。

今自分の身体の変化を通してそんな事を実感している。