本当は すべてが そろっていることこそ 「不自由なこと」なのかもしれません★★
『耳をふさいでみる』
そうすると 本当のことがわかります。
よーく周りを見てみる。
そこには、「ことば」がありません。
綺麗に飾られたことば もなければ 批判的なことばもありません。
見えるのは 「その人が 今 なにをしようとしているか」だけです。
そこには ことばでなく『その人の姿勢』という本当の姿が見えてくるのです。
『目を閉じてみる』
そうすると 本当のことがわかります。
そこには 「すがた」がありません。
耳を澄ませば 外見や形ではなく 本当のその人の『こころの姿』が見えてくるのです。
『口を閉じてみる』
そうすると 本当のことがわかります。
そこには 「じぶん」がありません。
じぶんをなくしてしまうと 相手が『本当に伝えたかったこと』が見えてくるのです。
耳がきこえにくい友達もいます。
目が見えにくい友達もいます。
しゃべることができない友達もいます。
みんなは それを「不自由」といいます。
それは まったく反対なのです。
それは 神様にひとつ 自分のからだを 返したことで
「こころの目」を頂いたからなのです。
だから ほんとうのことが 見えるのです。
事故や病気で 自分のからだの一部を なくしてしまった友達もいます。
でも それは 神様に ひとつ 自分のからだを 返したのです。
そして その代わりに 「こころの目」を頂いたのです。
本当は すべてが そろっていることこそ 「不自由なこと」なのかもしれません。
すべてが そろっている僕らが こころの目を頂く方法
それは 「他人の身になること」です。
「その人の身になって考えること」
これが たったひとつの「こころの目」を頂く方法なのです。
(げんき)