耐え切れない程の苦しみも、掛替えのない喜びもいつかは風化してしまう。
だからこそ人は、「忘れたくない」という想いの向こうに真実を見つけ、
「忘れないと誓う」事でその愛の深さを思い知るのではないだろうか。

ぜんぶ君のせいだ。の1stシングル『無題合唱』、
ぼっちによるぼっちのための歌がコンセプトとなっているこの楽曲は
「出逢い」ではなく「別れ」の後に残された想いと、その風景を鮮明に切り取る事で、
失って初めて思い知る「隣にいてくれる人の大切さ」を切々を描き出したナンバーだ。
この楽曲は、3月5日に行われたアウトストアイベントにて初披露されて以来、
彼女達のLIVEでは必ず最後に歌われる定番のラストナンバーとなっている。
膨大なアタック値を誇るナンバーが矢継ぎ早に繰り出された最後の最後に、
「隣にいる人と手を繋いで下さい!」というリーダー如月のMCをキカッケに幕を上げる。
それまでの楽曲とは一転して、センシティブな言葉とストレートなサウンドで紡がれるこの曲は
彼女達の想いを最大限に伝える装置としての役割を担っているのだ。
だからこそこの『無題合唱』に託された想いは大きい。
そもそもこの『無題合唱』は、メンバーの実体験がベースとなっている。
それぞれ独りぼっちの日々を過ごしてきた彼女達が、それぞれの大切な人と出逢い、
そしてその想いが届く事なく離れ離れとなってしまう。別れから始まる物語なのである。
ぼっちであった過去、そしてメンバーやファンと出逢い、独りではなくなった現在地、
その両方を知る彼女達が憂い、歌うからこそ、この別れの後の景色に宿る身を切るような想いは、
凄まじい質量と実体を帯びて、人の心を打つ。
これは、某インタビュー記事を読んで知った事なのだが、
この曲を歌う際にメンバーは一回もフロアにいるファンを見ない、との事らしい。
それぞれが想う大切な人と思い浮かべながら歌う、のだそうだ。
しかしこれは決してファンを放棄しているわけではない、この曲の真相は此処に在る。
詰まる所この『無題合唱』は彼女達だけの曲ではないのだ。
その場にいるそれぞれが、それぞれの大切な人を想いながら歌う、歌って欲しい。
そしてそれぞれの人生に寄り添い、それぞれが大切な人のために歌うからこそ、
この曲に決まったタイトルなどは無い、だからこその「無題合唱」なのだ。
初期から彼女達の現場に通っている方々なら既に肌感覚でお気づきかと思うが、
この曲がラストナンバーで歌われるようになってからLIVEの質や空気が明らかに変わった。
それまでのひたすら迸る熱量を撒き散らすように振る舞っていたそれは違い、
1本1本のLIVEに意味が宿ったように感じる、きっと自分達の生きる意味を見つけたのだろう。
『無題合唱』とはそういう楽曲だ。
別れから始まる、別れから始まるからこそのラブソング。
曲中で1度描写される「勿忘草」、その花言葉は「私を忘れないで」、そして「真実の愛」。
独りになるいつかの風景を憂うからこそ、独りではない今を愛するための歌だ。
フロアにいる全員が手を繋ぎ、「この指とまれ」で始まるこの歌がある限りは、
例え何処に行ったとしても君は独りではないのだ。
しかしながらこのシングル『無題合唱』に収録されている3曲はどれも文句無しに素晴らしい。
リード曲であるピアノロック「無題合唱」はセンシティブな歌詞のエモーションを
余す事なく音像として昇華し切ったピアノのリフや、抒情的なメロディーラインが心を掻き立て、
効果的に配置されたデジタルサウンドも楽曲を更に一段上に上げるいい仕事をしている。
ザクザク刻むリフにパンキッシュな高速ビートをデジタルエフェクトでマッシュアップした
「うぇゆうぇゆうぉっ~ヒネクレノタリ~」は、世の中をディスったような歌詞も相まって
LIVEでの盛り上がりは必至だろう。楽曲後半に搭載されたダンスパートもAttack Attack!以降の
エレクトロコア世代はニヤッとさせられる構成だ。
そして4つ打ち系アイドルポップ「ぼっちコネクト終」は、学校で一人妄想に悶えるような
病みかわいい女子の姿が独特の語感の歌詞でポップに描かれている。
学校のチャイム音をサンプリングしたであろうピアノのリフも象徴的である。
最初にて最期ですらあるような感覚を憶えるほどの破格の風格とボリュームを誇るこのシングル、
しかしまだぜんぶ君のせいだ。の歩みは始まったばかりである。