どうして同じ単語で表すわけ? | ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間

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ことばに宿る、不思議なチカラ。
人間の言語習得やコミュニケーション能力の奥深さはまだ解明されていないけれど、とんでもなくおもしろい。
気づいたら私のコトバ探検は本格化されていた。

外国語を学んでいると「何故」がたくさん生まれる。
多くの何故の根本には、おそらく母語の影響がある。


たとえば英語の【run】

ジーニアス英和辞典によると
 「走る」「駆ける」からはじまり
 「(川などが)流れる」
 「(洗濯して)色落ちする」
 「(インクなどが)にじむ」
 「(機械などが)動く、作動する」
 「(物事・人生が)進んでいる」
 「立候補する」
 「(道などが)続いている」
など、様々な和訳が載っている。
(ちなみにこれでもまだ、すべてではない。)

学習する立場から眺めてみると

「全然違う言葉じゃない!
 どうして全部同じ単語で表すわけ?!」

と不満を感じても仕方ない。
見てわかるように、日本語で表せばすべて違う言葉だから。

ネイティブじゃないから、その単語が持っている基本的感覚なんて持ってないのだ。


これが、母語以外の言語を身につけようとするときに起こるひとつの弊害なのだろう。

 「英語ってわけわかんない!」

英語嫌いの誕生だ。


では、日本語にはそういう言葉はないのだろうか。
おもしろいものを発見した。


1、相手の力を甘く見ていると、足元をすくわれるよ。
2、このエリアには、見るべき場所がたくさんある。
3、すいぶんつらい目を見てきた。
4、自転車と車が衝突するところを見た。
5、発芽から開花までの様子を見て記録した。

ここに出ている「見る」の意味はすべて異なる。

1は「判断する」
2は「観光する」
3は「経験する」
4は「目撃する」
5は「観察する」

私たちにとって日本語は母語だから、普段は意識していない。
言われてみれば…という感じ。

でも確かにね、そうなのだ。


ということは、日本語学習者が

「どうして全部【見る】なわけ?!
 全部違う言葉じゃない!」

と不満を持っても仕方がないというわけだ。


これに気づいたとき、私は思った。


 ま、しょうがないか…

 お互い様だ。


感覚を掴むまでは、わけわからないことに変わりはないのだけれど。