日本人の「曖昧さ」はステレオタイプ? | ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間

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ことばに宿る、不思議なチカラ。
人間の言語習得やコミュニケーション能力の奥深さはまだ解明されていないけれど、とんでもなくおもしろい。
気づいたら私のコトバ探検は本格化されていた。

「日本人は曖昧だ」
「日本人はYES・NOをはっきり言わない」

こう言われて久しい。
私自身、メディアやら学校やらで小さい頃から聞き続けているから、いつの間にかそんなものだと思っていた。

でも以前も書いたけれど、すべての物事を黒か白か、ゼロか百かでなんてわけられない。
むしろ「どっちでもない」「どうでもいい」ということの方が圧倒的多数だと私は思う。


 本当に欧米の人たちはすべてにおいてYES・NOなのだろうか…?


疑問が湧く。
実際、直接話をすると「どっちでもない」「どっちでもいい」という反応が返ってくることは往々にしてある。

確かに、日本人は会話や芸術においても「間」を大切にするし、曖昧の文化という一面を持つことはうなずける。
「空気を読む」なんていう言葉があるくらいだから、場の雰囲気を読むことにも慣れている。
(長けているかどうかはわからないけれど。人によるし、勘違いも入るから)

でもそれと「YES・NOがはっきりしない」というのは違うと思うのだ。


先日、アメリカ人のJさんと話していたときに言われた。


「多くの外国人が、日本人は【ambiguous】だって言うよ」


【ambiguous】=not clear
 あいまいな、不確かな、不明瞭な


 うーむ…、また言われた。


一体何を見てそう思うのか。
せっかくだから聞いてみると…


「例えば、ビジネスのときに日本人は『Yes』『Yes』って言うんだよ。
 だからこっちはOKなんだ、そのまま進められると思うんだけど、日本人は最後に『ちょっと考えます』ってなる。
 『Yes』って言ったのに!
 僕たちにとって、『Yes』はこれでOK、GOっていうことなんだけど…よくわからない」


この時私は、答えが見つかった気がした。


日本人は話を聞いている旨を示すときや相づちを打つときに「はい」と言う。
子どもの頃から
「『うん』じゃなくて『はい』と言いなさい」
と言われるくらい。

その『はい』を日本人は『Yes』に置き換えて話をするのだ。
だから行き違う。

日本人の『Yes』は
「あなたに全面的に同意します。このまま進めましょう」
の「はい」ではなく
「聞いていますよ」「なるほど」
の「はい」なわけだ。

おそらく英語でのネイティブとの会話に慣れた人たちだったら使うのは『Yes』ではない。
日本人的感覚でいうところの「はい」は、例えば…『aha』とかね。

でも当然、みんながみんなそうではないわけで。
加えて非母国語だから、ネイティブ同様の細やかな言い回しや感覚での会話ができるわけではない。

多くの日本人は、英語を用いて話ができたとしても、ネイティブと比べれば圧倒的に少ないボキャブラリーと感覚の中でやりとりをしている。

結果、

 日本人は【ambiguous】だ

と受け取られるようになったのではないかな。


もちろん他の要素もあるかもしれない。

でも、
一理あると思いません?