わかるけど、話せない | ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間

ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間

ことばに宿る、不思議なチカラ。
人間の言語習得やコミュニケーション能力の奥深さはまだ解明されていないけれど、とんでもなくおもしろい。
気づいたら私のコトバ探検は本格化されていた。

日本人のお母さんを持つメキシコ人のR君は3人兄妹。
彼らの母国語はスペイン語。
でもお母さんは日本語で話をする。

今でこそ、お母さんとは日本語で話をするという彼。
でも子どもの頃は日本語で話しかけられてもスペイン語で返していたのだという。

母国語、公用語、異なる母語を話す両親を持つということ…
言葉の問題は、しばしばとてもデリケートだ。

同じ環境で育ったR君の妹たちは、日本語が話せないらしい。
お母さんの言っていることはわかる。
でも返事はスペイン語で。

その話を聞いた時、私はオーストラリアのシドニーで暮らす友人Sを思い出した。



生粋のオージーであるSの旦那さん(J)はペルー人。
ペルーも母国語はスペイン語だ。

私が彼女の家にステイさせてもらっていたある日
Jの弟家族がペルーから移住してくることになった。
南米から、言葉も文化も異なるオーストラリアへ。

当時に私にとって、移住なんて遠い世界の話。

“移民の国・オーストラリア”

そこにいてさえ、移住とはどこか遠い時代・遠い国の出来事のように聞こえていた。
当然、日本で耳にしたこともなく。

それが自分の目の前で起こるなんて!


日常会話は英語のS夫妻。
Jは1歳の息子にはスペイン語で話しかけていた。
けれども奥さんや私との会話は英語だ。

そこにJの弟一家が移住に伴い仮住まい。
彼らの家は急遽、スペイン語も聞こえてくる環境となった。

よく「日本人は英語を話せない」とか「日本人はシャイだから…」という言葉を耳にする。
でもこれは、何も日本人にのみ当てはまることではないと知ったのはこの時だ。

Jの弟とその奥さんは、まったくもって英語が話せなかった。

同じ家にいるとはいえ、何故だかほとんど関わる機会のなかった私。
でもせっかくの縁なのにもったいない。
そう思い、ある日勇気を出して奥さんに話しかけてみた。

 「何作るの?」

途端に彼女はさっと目をそらし、即座に誰か助けを呼ぼうとした。
慌てる私。

 確かにあなたは英語がわからない。
 私はスペイン語を知らない。

 でもね、ちょっと言葉を交わせたら楽しいんじゃないかなって思っただけななのよ。

私の試みは失敗に終わった。


 「私さ、スペイン語も話せるようになりたいな。
  そうしたら彼らと話せるし、楽しいと思うんだ」

そう言った私に、Sは大きく頷いた。
そしてこの時、私はSから不思議なことを聞いた。

 「私はね、何を言ってるかはだいたいわかるの。
  でも話せないのよね…」


 えっ?! そうなの??

 何言ってるかわかるの?!

 どうして??


当時の私には、学んだことのない言語を耳にしているだけで理解できるようになるなんて、さっぱり意味がわからなかった。

子どもならともかく大人の場合
語学は学ばなければ身につかないものだと思っていたから。

そしてこの“子どもならともかく”の「子ども」は、一体何歳までを指すのだろう?なんて思っていた。


 勉強してしまったらもう遅いのかな?


そんな風に思ったのは、Jの弟夫妻の2人の子どもたちを見てのこと。
英語の「え」の字にも触れたことのない小学校1年生の弟よりも、学校で英語を学んだことのある14歳のお姉ちゃんの方が苦労していた。


 勉強せずに言葉を身につけるなんて、子どもの特権。


そう思っていた私にとって、Sの「何言ってるかはだいたいわかる」という言葉は非常に衝撃的なものだったのだ。


 彼女は語学に長けてるんだな~…

 日本語も話せるし。

 どんな脳みそしてるんだろ?


何ヶ国語も話せる人に対して多くの日本人が持つこの感想。
例外なく、当時の私も思ったのだった。



さて、話を戻そう。

R君の妹さんたちは、生まれたときから日本語に触れていた。
それでも、理解はできるけど話せないらしい。

けれど確実に彼女たちの中には日本語が溜まっている。
それらは、“スペイン語が通じない”環境に行った時、初めて爆発し溢れ出てくるのかもしれない。

今はまだ、眠っているだけ。

 やっぱり『自然に話す環境』があることは大切なんだな…

R君との会話を通して、「聞く」と「話す」について改めて思ったのだった。