札幌時代、我家にホームステイに来てくれたR君が再び日本にやってきた。
1年数ヶ月ぶりの再会。
私たち夫婦は、彼がかわいくてたまらない。
お母さんが日本人、お父さんはメキシコ人。
でもお父さんのご両親は日本人。
つまり流れる血は生粋の日本人である彼は、でもやっぱりメキシコ人。
母国語はスペイン語だ。
彼の話す日本語はとてもかわいらしい。
お母さんの話す日本語を聞いて育った彼。
改めて日本語を勉強したことはないという彼の言葉からは、お母さんがきちんとした言葉遣いをなさる方なのだということが伝わって来る。
日本語を話す時、彼の声は若干高め。(そしてかわいらしい)
しかしスペイン語になると、声が腹に落ちるのか太く低くなる。
私はそこに、彼の確固たるアイデンティティーがそこにあるのだなと感じる。
今回、仕事で来日した彼は、1週間ほど北中南米各国の代表者たちと過ごしていたらしい。
ひとことで「アメリカ大陸」と言っても、国によって話されている言葉は異なる。
8人の代表者に対して、英語・スペイン語・ポルトガル語と通訳が3人もいたらしい。
「通訳を待っている時間がすごく長くて…」
って、それは想像に難くない。
ちなみに4ヶ国の代表者の母国語はスペイン語。
通訳さんの話すスペイン語はメキシコのものだったらしい。
やっぱり国によって違うの?と聞いたら「大阪弁とか京都弁みたいに違います」って。
そうなんだ!
じゃあスペイン語ネイティブにとって、ポルトガル語やイタリア語は、方言のような感覚ともまた異なるということか。
日本語にはないその感覚。
うーん、不思議!
ところで彼は今回、各国の代表者たちと何語で会話をしていたのか。
たずねてみると、相手によって日本語・スペイン語・ポルトガル語・英語を使い分けていたとのこと。
なんて理想的!
やっぱり話せるっていいよね。
母国語で話せれば、相手との距離はグッと縮まる。
でも…
これら4言語がわかるということは、彼はどの話もすべて4回ずつ聞かなければならなかったというわけだ。
それは疲れる…^^;
ちなみに彼の言葉たちは、環境によってナチュラルに身につけたもの。
多少、学校で英語の授業はあったとしても、基本的に語学として学んだことはないのだそう。
ああ素敵!
自然習得の塊だ。
だから彼の日本語は、教科書でのみ学ぶであろう日本語表現が出てこない。
きっとポルトガル語も同じ。
ちなみに漢字はさすがに勉強しないとわからないと言っていた。
「どうやって勉強してるの?」
「例えば駅とかで知らない漢字があったら、何かなって調べます」
おお…!
ここでもやっぱり自然習得がベースなのね。
やっぱり生のその言語に触れる環境は大切ね。