オーストラリアを旅していたときのこと。
大きなバックパックを背負って、様々な国の人たちにとのキャンプツアー。
たまに日本人と会うこともあったけれど、ツアーメンバーのほとんどはヨーロピアンだった。
各国から来ている彼らだけど、見た目だけで彼らの出身国の違いはわからない。
少なくとも、私にとっては。
彼ら自身にしてみれば、何か違いがあったのかもしれないけれど。
私たちが、感覚で日本人・韓国人・中国人を見分けるように。
(といっても、私はたまに間違うけれど^^;)
そんなわけで、彼らの中にいると私はとても異質な存在だった。
見た目も、背の高さも、体の大きさも。
何より、アジア人…とりわけ日本人が、英語を苦手としていることは、彼らも知っていた。
海に囲まれた日本において、日常的に英語を話す必要がないことはイメージしやすかったんだろうな。
埃にまみれて、汗をかきかき旅をする。
当然、溜まってくる洗濯物。
ある宿に着いた日、私はアメリカの女の子に問いかけた。
「洗濯する?」
うん…と頷きながら、彼女が答える。
「I think I should.」
えっ!!?
その時私は、自分の中の『should』の感覚がネイティブのものと異なっていることに気がついた。
え…え?!ここで使うの?!
こんな風に使うものなの?!
私は学校で『should=~べきである』と習った。
『~べき』…つまりその感覚は、どちらかというと『義務』に近い。
やらねばならないこと。
本当はやりたくないんだけどさ~…なんていう感覚。
誰かにやらされている感じ。
どちらかというと『You should do something.』は、人に『やれ!』と言われて仕方なくするような。
「さっさと宿題しちゃいなさい!」的な感覚とでも言えば伝わるかな?
でも彼女の表情や口調を見ると、その感覚とはちょっと違う感じがした。
『should』って実は、そんなにきつくない(強くない)言葉なんじゃないか…?
そんな感覚が沸き起こる。
そして今。
“『should』は「~するといい」「~した方がいい」くらいの軽い感じ”
だと知った私は、学生時代よりずっと『should』が好きになった。
「~しなさいよ!」
「~した方がいいよ♪」
全然違う!(笑)
命令じゃない方が、やってみようかなという気にもなるものね。