ふと思った。
「言葉が好き」って、意識したのはいつだったかな?
ベルギーでフランス語を話す子たちと遊んだ4歳のとき
「フランス語が話せたらもっと楽しかったのに!!」
と母に訴えたというエピソードを私は持っている。
その後、英会話を習わせてくれた母。
習っていた数年はけっこう楽しくやっていたけれど
中学に入って、楽しみにしていたはずの英語に挫折。
『ことば』とか『コミュニケーション』という世界は
私の人生から遠ざかっていった。
再び「やっぱり話せるようになりたい!」と思ったのは25歳のとき。
まったく英語が話せないどころか、
学校の授業からも遠ざかって数年経っているという時期に
無謀にも1人でイギリス&イタリア一人旅に行ったときのこと。
帰国後、熱が冷めないうちに英会話教室に通い
数ヶ月後、今度はオーストラリアへ旅立った。
また無謀にも、一人で。
しかも今回は婚約した状態で9ヶ月半も。
「行っておいで」と快く送り出してくれた主人(当時は婚約者)、
ものすごく懐が深かったんだなぁ
…なんて今さら思ったりして(笑)
結婚して英語に触れる環境がなくなり
また何か言葉が話せるようになりたいな~…
と思っているときに出会ったのが『多言語』という言葉。
そこから、私の『ことば』に対する探検が始まったわけなのだけれど…
どの時点から『ことばが好き』と表現するようになったのかは、
今もはっきりしない。
ただ、いつのときもその根底には
「通じたら楽しい」
「通じたら嬉しい」
「もっと話したい」
「もっと知りたい」
があったように思う。
この『楽しい』『嬉しい』で動いていたとき、
中高で挫折した苦手な『語学』は
私にとって『相手と繋がるための言葉』という認識になっていた。
『語学』という概念ではなかった。
『語学』になってしまえば、今も苦手。
だからいかに楽しんで言葉を習得するか、
いかに楽しんで人とコミュニケーションするかが
言葉と触れ合うためのポイントで
今も私は模索している。
そんな中、ふと思い出した。
手話を習得しようと思った時のことを。
>『もっと知りたい、もっと話したい②』につづく