『山』を『サン』を読むのは丁寧語? | ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間

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ことばに宿る、不思議なチカラ。
人間の言語習得やコミュニケーション能力の奥深さはまだ解明されていないけれど、とんでもなくおもしろい。
気づいたら私のコトバ探検は本格化されていた。

前回の記事に引き続き、オーストラリアのハイスクールでのお話。

どんなことも、そのひとつ外側から見てみると、思いがけないことに気づく。
中にいては気づけない、外に出たからこそ気づけること。
それは純粋な気づきとなり、自らの世界が広がるのと同時に深まっていくことにもつながる。

ただ対象物があまりに自分の常識の外のものであった場合、
自分の狭い価値観の枠組みの中から発想するとそれは
「大いなる勘違い…でも一見納得しそうになって笑える」
ものになることがある。

ん?
よくわからない?

例を挙げてみよう。


中学3年生の日本語クラスを担当していた先生は、漢字の音訓読みについて教えていた。

「『山』mountainの訓読みは『やま』、音読みは『サン』」

ここまではよかった。
私もふんふん…とうなずきながら聞いていた。

「日本人は私たちよりもずっとmountainを信仰している。
 神様みたいだから『さん』てつけてるんですよね?
 『○○さん』と誰かを丁寧に呼ぶみたいに」

 ………へっ?!

初めて耳にしたその話。
あまりによくできていて、私は一瞬信じそうになった。
「そうだったんだ~!知らなかった~~~っ!!」って。

ぽかんとすること数秒。
すぐに私は訂正した。

 「いやいやいや…音読みは中国から入ってきた読み方だよ!」


オーストラリアという“外側”から見た日本及び日本語は、そんな風に見えるのか…
突飛な発想に聞こえたものは、一周回って妙な説得力を持っていた。