さて。
今回は前回の記事『大興奮の多言語革命~序章』のつづき。
ガボンという国はアフリカの赤道直下にある。
52の地域言語が存在し、公用語はフランス語。
同じ国内でも、公用語であるフランス語で話さないと
コミュニケーションはできないと彼女たちは言っていた。
この状況、同じアフリカ大陸にあるブルキナファソと似ている。
「多言語国家のアフリカでは何十ヶ国語も話す人がたくさんいる」
という話と共に多言語活動を知った私としては
「あれれ?」という感じではあるけれど、それはそれ。
国によって、また植民地政策によっても
言葉のあり方は変わってくるから何とも言えない。
さてガボンからやってきたAさんとMさん。
2人が話す言語はフランス語。
「調査票に英語って書いてない!」
ということで、ドキドキしながら迎えたホームビジットの日。
対面は、「Bonjour!」とハグから始まった。
Aさんは英語が単語プラスα程度はわかる。
Mさんはほとんど話せない。
そして私たち夫婦はフランス語を勉強したことがない。
さて、どうなったか。
結果から言うと、何も困らなかった。
そう、何も。
驚くほど、何も困らなかったのだ。
相手がフランス語話者だと認識した途端、フル回転し始めた私の頭。
すると出てくるのだ。
私の中にいつの間にか溜まっていたフランス語の音たちが。
私、フランス語話してる!
私、彼女達が何を言ってるかわかる!!
我ながらびっくりした。
でも現実にそれは起こっていた。
それは何故か。
予測ができるのだ。
聴く方も、言う方も。
私はフランス語を学んだことはないけれど、多言語の活動は楽しんでいる。
ついでにコトバについての情報はゼロではない。
だからたとえばフランス語が
ラテン語圏の言葉だということは知ってるし
(言語学的にはロマンス諸語と分類されているみたいだけど)
だからスペイン語やイタリア語などと同じルーツだということはわかっている。
女性名詞と男性名詞があることは知っているし
主語によって動詞活用が変化することも知っている。
ひとつひとつの単語や文法は知らないけれど、
フランス語らしい全体の波は体に入っている。
ついでに、アルファベットをローマ字や英語の感覚で読んだら
全然フランス語にはならないことも知っている(笑)
あとはせいぜい名前、住んでいるところ、家族、好きなもの…
程度の自己紹介が言えるくらい。
そんな程度だったのだけれど、この情報&感覚は大きな意味を持っていた。
たとえば、札幌には有名な観光名所のひとつに『時計台』がある。
「これ、時計台。有名なの」と、私は彼女たちに伝えたかった。
時計台。
英語で言うと 「Clock Tower」。
う~ん…でもフランス語で「Tower」って何ていうのか知らないな。
ま、家みたいな形だからとりあえず「maison(メゾン)」でいいや。
で、時計…
時計かぁ…
イタリア語なら知ってるのよね、「orologio(オロロージョ)」
じゃ、これをフランス語っぽい波(イントネーション)で言ってみよう!
合ってるかどうか知らないけど…
というわけで言ってみた。
「C'est…、maison de オロロ~(ジ)」
こんな感じ。
文字にすると伝わりにくいけれど…^^;
するとすばやく反応が返ってきた。
「Oh! horloge!!」
通じた!
そう!そう!!『horloge』!
そっか~v
やっぱり『horloge』なんだ~♪
文字にするとスペルが違うから違うコトバに見えるかもしれないけれど
音を優先すると、とても似ている。
もとのコトバが同じで、その波なりイントネーションなりが
イタリア語らしいかフランス語らしいかだけの違いだ。
『有名』も同様に
英語の「famous」を使いつつ
イタリア語の「famoso」から予測して導き出すことができた。
全部が全部、そんな感じ。
これはとても楽しい作業だった。
もちろんすべての単語が共通なわけではないから
予測して言ってみて外れることもある。
でもそんなの、全然たいした問題ではない。
おおっ!
そうそう、それ!!
わっ!フランス語でもそう言うんだ!
そんな事柄の方が圧倒的に多かったから。
これは、普段からひとつの言語に偏らず
多言語に触れているからこそ
そしてコトバを分解せずに大きな波として捉えるクセがついているからこそ
起こったことなのだと思う。
もし私が、一言語に偏って、しかも“勉強”していたら
こんなに柔軟に予測したり、
フランス語っぽく言ってみたりはできなかったと思う。
でも多言語のおかげで、耳は開いている。
その言語らしい波も感覚で身についている。
他の言語ですでに知っているコトバがある。
これはすごい力になった。
そしてもっとも大事なこと。
“とにかく言ってみちゃえ!”
彼女たちは私が少しフランス語を話せる、わかるというだけで
すでにびっくりしてくれている。
間違っていたって全然気にしない。
わからなければわからないと言ってくれるし
私が適当に作っているコトバも予測してくれる。
評価されたり点数をつけられたりはしないのだ。
地球はひとつのまるい球体だ。
どこにも切れ目がなく繋がっている。
同様に、コトバもまた繋がっている。
国境のように切ってしまえば国もコトバも
『違い』を“わけて”しまうことになるけれど
もともと大地にも海にも境はない。
コトバだって、境界線がないまま世界各地で融合しているのだ。
日本国内の方言を見たって同じことが言える。
それを人間が勝手な都合でわけているだけなのなら
繋げて考えてそこにプラス、捉えた“らしさ”を付け加えればいい。
コトバは予測変換可能。
すごくおもしろい体験だった。