『どちらでもない』という意見 | ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間

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ことばに宿る、不思議なチカラ。
人間の言語習得やコミュニケーション能力の奥深さはまだ解明されていないけれど、とんでもなくおもしろい。
気づいたら私のコトバ探検は本格化されていた。

「日本人はイエスかノーかはっきりしない」
「日本人は曖昧だ」

これまたよく言われる。

ただ私はいつも不思議に思う。

世の中、白黒はっきりしないことの方が多いじゃない!
0か100かしかないモノなんて、ほとんどないじゃない!
答えなんて、無数にあるじゃない!!



以前、あるイタリア人に聞かれた。

 「ラジオ好き?」

ラジオ。
私は別に、好きでも嫌いでもない。

“ラジオ大好き!毎日聞いてる!”という人と比べれば
そこまで好きなわけではないということにはなると思う。

だって私、普段は聞かないから。

でも聞かないからといって、別に嫌いなわけではない。
そもそも嫌う理由がない。

何か聞きたい番組があれば聞くだろうし
かつてよく聞いていた時期もある。

好きな人が、聞きたい人が、聞きたいときに聞けばいい。
ラジオだってテレビだって、何だってそうでしょ?

だから好きか嫌いか、大きく大別しなければならないなら
おそらく『好き』に入ると思うのだ。

これから先、一生聞かないとは思えないし。


というわけで、私の答えはこうだった。

 「うん。好きよ」

するとさらに質問がきた。

 「どんな番組を聞くの?」

だから私は答える。

 「今はラジオ聞かない」

すると彼が言った。

 「それは嫌いって言うんだよ!」


 え?どうして?


何故、『聞かない=嫌い』になってしまうのか。
さっぱりわからなかった。

やらないことは嫌いなことなのだろうか?
でも世の中なんて、自分の生活に“する”ことを選択していない事柄の方が多い。
人生においてだって、経験しないことの方が多い。

経験しないことすべてを『嫌い』と分類するなんて、ずいぶん極端じゃない?

世の中のことをすべて『好き』か『嫌い』かのふたつに分類する。
そのこと自体、そもそも不思議。

私にとって、世の中のほとんどのものは『好きでも嫌いでもないもの』だ。
『興味がない』場合もあれば
『必要なときだけ使う』ものもあるし
『知らない』ものの方が多いのだ。

モノゴトって、ほとんどはそういう感じでできているのではないだろうか?


答えがひとつしかないモノゴトなんて、ほとんどない。

人によって答えが異なる事象がほとんど。

イエスかノーかで割り切れるものの方が圧倒的に少ないのが世界だと思う。


優柔不断で自分で決めることをしなかったり、
考えるのを放棄して自分の意見を言わないことは問題だけれど
『どちらでもない』という意見は存在する。

「イエスなのか、ノーなのか?!」
「好きなのか、嫌いなのか?!」


 いやいや、どっちでもいいよ。
 本当に、好きでも嫌いでもないのよ。
 すべてのものに対してそこまで強い思いを持ってはいないよ。


好きか嫌いか。
イエスかノーか。

日本人以外のすべての国の人がそうなわけでは、もちろんない。
でもその選択を迫ってくる相手と出会うと不思議に思う。
本当に彼らには『中間』が存在しないのだろうか?

それだけで答えが出るものが少ないということは
紛れもない事実なのだけれど。


「日本人はイエスかノーかはっきりしない」
「日本人は曖昧だ」

ビジネスや政治の世界において
それが致命的になることはもちろんある。

でも、それだけじゃない良さがあることが
もっと世界に発信できたら、いいのかもしれないよね。