知らないモノを恐れる~宗教とオタク | ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間

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ことばに宿る、不思議なチカラ。
人間の言語習得やコミュニケーション能力の奥深さはまだ解明されていないけれど、とんでもなくおもしろい。
気づいたら私のコトバ探検は本格化されていた。

未知のものや自分の世界にないものに触れたとき
人は恐怖し身構える。

自分が物理的、精神的に傷つけられる可能性が
まったくないものであったとしても。
それがいい方向への変化であったとしても。

無意識に変化を恐れる。

ものの考え方、慣習、価値観の違い、相手の好きな世界…

今まで自分が築いてきた世界が転換する可能性がある限り
人は恐怖し、意図せずとも抵抗する。

そんなとき、日本人の多くが使う言葉がある。


 『宗教』 と 『オタク』


私は、どうもこの感覚が受け入れられない。



たとえばメキシコに行った友人が語った話。

「マリアッチが演奏しながら、みんなで街をゾロゾロ練り歩いたの。
 慣れてない日本人は危ないからって、
 まわりをメキシコの人たちが囲んでくれて楽しかったよ!」

それに対して、ある人が言った。

「え…何それ。宗教っぽい。大丈夫なの?」

無宗教の人が多い日本。
ましてや、過去に新興宗教の起こした事件のイメージか、
『宗教=アヤシイ=洗脳=騙される』
みたいなイメージを抱いているのだろう。

何かにつけ、自分にとって未知の世界や考え方、
それまでの常識とは違うものや価値観に触れたとき
この言葉を口にする人たち。

 「宗教じゃないの?」

自己防衛本能が働くのだろう。
おそらく悪意はない。

でも世界を見ると、無宗教の国の方が少ない。
世界には数々の宗教がある。

人間より大きなものの存在。
無宗教を謳う多くの日本人だって、「神様仏様…」なんて口にするのに。

そもそも自分の世界なんてとても狭い。
世界には、知らないことの方が多いのだ。

この、宗教への間違った認識から
蔑みを込めてこの言葉を口にする日本人と出会うたび
私はとてもがっかりする。



もうひとつ。
たとえばホームステイにやってきたゲストについて話していたとき。

「彼は文学とクラシック音楽が好きでね…」
「ああ、オタクなのね!」

「アニメやマンガが好きで日本語を覚えたらしいんだけどね…」
「日本だとマンガ好きな人はオタクだけど、海外だと違うのね~」

どちらも恐ろしいほど、偏見の塊だ。

この言葉を断定的に使う人たちは
ダンスやスポーツが好きな人のことを『オタク』とは言わない。

『好きな分野が文系=オタク』 なの?
『マンガ=オタク』 なの?
『何かがとても好き=オタク』 なの?

おそらく自分が知らない世界、触れたことのない世界だから理解できず、
思い込みの偏った目で見て平然とこの言葉を口にするのだろう。


『オタク=差別用語』だと、断定はできない。


でもこういう時に口にする人たちの言葉には
少なからず、相手を蔑んでいる音が含まれている。
これもやっぱり、耳にするたびとても残念に感じる。

マンガの影響で、世界中で日本語を学ぶ人が増えた。
日本に興味を持ってくれている人が増えた。


マンガに限らず、世界を牽引しているのは常に
その世界のプロフェッショナルたちだ。

Apple、Microsoft、Googleなどを創った人たち
IT関連の人たち
博物館の模型を作る人たち
職人さん
マンガ史を塗り替えてきた漫画家さん…

彼らの中に“自称・オタク”は多い。

コンピューターが好きだから
ゲームが好きだから
模型やフィギュアが好きだから
モノづくりが好きだから
絵を描くのが好きだから…

『オタク』レベルの人たちがいたから、世界は発展し続けている。


だからやっぱり私は、『宗教』と『オタク』という言葉を
差別用語のように使う日本人の感覚が理解できないし、したくない。

狭いよね。
見ている世界も、受け入れる心も。

すごい世界よ? どっちも。