海外の人と触れ合うと、多くの日本人が
『日本のことを知らなさ過ぎる自分』に恥ずかしさを感じるようだ。
海外に行ってよく聞くのがこんな言葉。
「私、日本のこと全然知らなくて恥ずかしかった。
他の国の人たちって、自分の国の歴史とか文化とか
ちゃんとみんなわかってるんだよね…」
そして言う。
「帰ったら勉強しよう!」
そして帰国後、いつの間にか消えてしまうその想い…
日本人て本当に、こういうことに弱い。
何故だろう?
かく言う私も、日本のことを語れる自信はまだまだない。
日本文化も日本の歴史も日本語も大好きだけど
海の向こうで語れるほど、伝えられるほど
自分の中には浸透していないように思えてならない。
もちろん言えることはある。
年中行事やその言葉の意味も
源氏物語や枕草子も
歴史や文化やマンガも
「全然知らない~!」という人よりは多少知っている…と思う。
でも何だか…“海外の人たちが語る自国のこと”とは違う気がする。
そして自分の知識は、とても偏っているように思えてしまう。
私は本当に恥じ入るほど無知なのか、
それともこれは向上心の表れか…(自分で言うのもおかしいけれど)
できれば後者であってほしいけれど。
長い鎖国の歴史と島国であるという事実。
日本国内で日常を送るなら、海外の方々と触れ合わずとも暮らしていける。
むしろそっちが大多数。
だからこそ、自分の国や文化を外から見る機会が少ない。
でもそれは、とてもとても恥ずかしいことだ。
思えば「日本の文化を体験してみたい」というゲストの言葉に
いつも戸惑う自分がいる。
『日本の文化』
それは一体、何を指しているのだろう?
「日本人の普通の日常生活を体験したい」
と言ってもらえるのであれば、いくらでも提供できる。
一緒にご飯を作ったり、お買物に行ったり。
スペシャルなことをしなくても、日常の延長こそを喜んでもらえるのであれば。
でも『日本の文化』と言われたとき、とても困る自分がいる。
日本の文化って、何?
お茶?
お琴?
三味線?
生け花?
日本舞踊?
和太鼓?
着付け?
思い浮かぶのはこんなものたち。
でもどれも、私の日常生活の中には存在していない。
『日本文化』として思い浮かぶのに、どれも生活に浸透していない現代。
果たしてこれが海を越えて来日する彼らの求めているものなのだろうか?
これらは本当に、今を生きる日本の文化なのだろうか?
これらに興味を持っても、どれもとても高価。
本気でやろうと思ったら、一体いくらかかるのか…
考えるだけでも恐ろしい。
いいな~ 興味あるな~ やりたいな~ とは思っても、
なかなかに敷居が高いのもまた事実。
むしろ、海外ゲストを対象とした催しをしている方がいらっしゃる分
一般の日本人より、海外からの旅行者の方が
そういった日本文化に触れるチャンスに恵まれていたりもする。
事実、先日我家にやってきたロシアのR君のおかげで
私たちはたまたま居合わせた『野点』に参加させていただくことができた。
おそらくあの時、彼がいなかったら…私と夫だけだったら
あの機会は与えられなかったことだろう。
歴史的流れから見れば、どれも確かに日本の文化。
でも今の社会の中で、すべての日本人がこれらを当たり前に
『日本文化』として紹介し提供することはできない。
現代日本人の生活とはかけ離れすぎている。
それがとても残念。
日本を知らない日本人。
私は日本人だ。
日本を、知っていたい。