イギリスの北にシュールズベリーという街がある。
ゆったりと緑の広がる酪農地帯。
私の印象だけれど。
イギリスを訪れたとき、そこで1週間ほどファームステイをした。
ファームステイと言っても、ファームが生業のおうちでのホームステイ。
牛舎には一度しか入らなかった!(笑)
ステイ先の家族は30代後半の若いご夫妻と3人の子ども達。
当時の私は25歳。
確かホストマザーは37歳で、一番上の女の子が13歳。
私はちょうど、彼女達の年齢のど真ん中だった。
イギリスの北ということで、彼女たちの英語にはスコットランド訛りがある。
ただでさえ英語にはまったく慣れていなかった私。
その前に滞在していたロンドンで耳にしていたものとは
また違った英語に少々戸惑った。
ホストマザーの言っている内容が理解できないとき
おもしろかったのは、たびたび長女が通訳してくれたことだった。
同じ英語を話してるのに、何で彼女の通訳でわかるの?
私は首を傾げた。
共に過ごしている時間の違い…と言うには無理がある。
2人とも、同じ家で過ごしていたし、
どちらかといえば私はホストマザーと過ごす時間の方が長かったのだから。
今思えば、かなり英語のつたなかった当時の私には
子どもの使う簡単な英語の方がかえって理解しやすかったのかもしれない。
そんなある日のこと。
困ったことが起こった。
言っても言っても伝わらない!
どうしてだろう?
ほんの一語なのに。
単語、間違っていないはずなのになぁ…
よくわからないながらも、発音を変えてみたり(自己流だけど)
声の高低を変えてみたり、何とか伝えようとする私。
するとしばらくして、彼女の表情がハッと変わった。
「Oh!『early』!」
そう! 『early』 よ!
さっきからそう言ってるじゃないの!
そう。
私は何度も何度も、『early』と言っていた…つもりだった。
でもおそらく、私はこう言っていたのだ。
『アーリー』
きっとその音は、決して『early』ではなかったのだ。
英語圏の人にとっては。
確かに、彼女の言う『early』と私の『アーリー』は違っていた。
やだ… 全然違うんだ…
そして彼女は、何度も 『early』 とくり返し
私は何度も練習させられた。
そう、“させられた”。
それは非常に……苦痛なひとときだった。
もちろん、彼女は親切心。
“こう言わないと通じないよ”と伝えてくれているのはわかっている。
事実、彼女には全然通じなかったわけだから。
でも当時の私の中には、そこになくてもいい羞恥心が存在していた。
日本人は、英語アレルギーの人が多い。
ネイティブの英語は、ネイティブが話すもの。
日本人はいくらそれっぽく言えても、カタカナ英語の延長。
そんな感じで、当時は日本人がネイティブとまったく同じ発音で英語を口にしたら
まわりはおかしな反応をするイメージの方が強かった。
もしかしたら、今もそうかな?
テレビのバラエティ番組で、キレイな英語を話す人がいると
必ずツッコミを入れておちゃらけようとする司会者、多いものね。
だからなのか、無意識に私も
英語らしい英語を口にすることに恥ずかしさを感じていた。
そんな不要な羞恥心のせいで、なかなか『early』と言えない。
それでも根気強く続けてくれる彼女。
やめられない私(笑)
そしてある瞬間、私の口からあの音が出た!
『early』が!!
「YES!!」
その瞬間、彼女の表情が輝いた。
「『early』」 → 「YES!!」
ほんの一瞬の出来事。
でもそのたったひとことが、私の中にあった羞恥心の殻を破ったように思う。
その後、私の中でネイティブの話す英語は
“ネイティブのもの”ではなく
“私も話せるようになりたいもの”になった。
少し考えればわかることだ。
海外の人の話す日本語が、まるで日本人のようにナチュラルなものだったら…
日本人の私たちは、感動したり感嘆したり。
「すごーい!」とは思っても、「変!」なんて決して思わない。
私に起こったのは、その逆のこと。
英語を話すのは、まわりにいる日本人に対してではない。
日本語より英語での方がコミュニケーションがとれる相手に対してだ。
まわりにいる日本人に対しての羞恥心なんて
そこにはまったく必要ない。
まったく…
誰の目を気にしていたのか…
人の目なんて、たいていの場合、自分が創った妄想に過ぎない。
勝手に恥ずかしくなって、勝手に殻を作るのは自分。
ああ、バカみたい。
気づいてよかった。