『おもしろいでした!』 | ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間

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ことばに宿る、不思議なチカラ。
人間の言語習得やコミュニケーション能力の奥深さはまだ解明されていないけれど、とんでもなくおもしろい。
気づいたら私のコトバ探検は本格化されていた。

海外の人と話すから気づかされる日本語がある。
なるほどな~…とよく思うのが、とある過去形の言い回し。

我家にホームステイに来てくれた人との別れ際
彼らがよく口にするのがこの言葉。


「おもしろいでした!」


ここで「なるほど!」と気づかされることは2つある。



ひとつめは、過去形の使い方。

おそらく彼らは『~た』が日本語の過去形の基本だと学ぶのだろう。
それは間違いではない。

でもこの『おもしろい』に関しては『おもしろいでした』とは言わない。
『おもしろかったです』が、日本語としてはナチュラルだ。

そこで考えてみた。

何が違うのだろう…?

見えてきたのはまず、過去形で言いたい言葉の品詞が何かということだ。
つまり、動詞なのか形容詞なのか、ということ。

例えば動詞なら
 食べる → 食べた 食べました
 寝る → 寝た 寝ました
 歩く → 歩いた 歩きました
 行く → 行った 行きました
 言う → 言った 言いました

それに対して形容詞は
 おもしろい → おもしろかった おもしろかったです
 楽しい → 楽しかった 楽しかったです
 大きい → 大きかった 大きかったです
 悲しい → 悲しかった 悲しかったです
 きれい → きれいだった きれいでした

あれ?
形容詞の中にも『~た』で終わっている言葉がある?

あ、違うか。
『きれい』は、文法的にわければ『きれいな』という形容動詞だ。

これ、考えてみれば私たちは学生時代にやっている。
国語の、文法の時間に。

でもそんなこと、日本人は意識していない。

そもそも学生時代が終わってしまえば
「形容詞って何?」「形容動詞って何?」と言い出す人が多いし。

しかも私たちは、学ぶとき、すでに答えを知っている。

「おもしろい」は「おもしろかった」にしかならないし、
「きれい」は「きれいだった」にしかならない。

その、もともと持っている言語感覚に対して
『文法的にわけると…』と、活用などを後づけで学ぶわけだ。

だから間違いようがないし、どうしてそうなるのかもわからない。

「おもしろい」は形容詞だし、「きれい」は形容動詞。
普段、品詞なんて意識していないけれど、そういうことなわけだ。

 そんなの、私たちが生まれて育ってくる中でずっとそうだった!

という、ただそれだけのこと。

 “こういう風にしかならないもん!”

これがネイティブの感覚。

でも日本語を“勉強”する人にとっては、そうはいかないようだ。

先に品詞ありき。
活用ありき。

やっぱり言葉に関して、ネイティブとは逆を辿っている。

これに関しては、韓国語のパッチムでも同じことが言えると思うので
この話は、また後日ね。



そしてふたつめ。

ホームステイでいろいろ体験して交流して、
とてもいい時間を過ごしてくれる彼ら。

彼らが最後にくれるひとこと。
それが『おもしろいでした』なわけだけれど…

もし、日本人だったら『おもしろかった』という言葉を使うだろうか?

私は使わないんじゃないかな? と思っている。
私だったら『楽しかった』を使うから。

『おもしろかった』は、一瞬の出来事を指したり
何か特定のものごとを示すときの方がよく使う。

「今日のあれ、おもしろかったね」 とか
「あの映画おもしろかったよ」 とか。


共に過ごした時間に対して、
「いい時間を過ごせたわ~!どうもありがとう」
の気持ちを伝えるときに『おもしろかった』を使うと
ニュアンスが若干違ってくる。

もちろん、ステイに来てくれている彼らの日本語がどうのこうの…
ということではなく。

日本人的感覚だとこうだろうな~ ということ。

だからもしかしたら、彼らが母語でならこう言う!という言葉の“訳”が
日本語にすると『おもしろい』になってしまっているのかもしれない。

“こういうときはどう言うかな?” と
自然習得的に日本人を観察して言葉を口にすれば
「楽しかった」が出てくるかもしれない。

でも“辞書”からの言葉だと、こうなるのかも。


これがふたつめの『なるほど』。


『おもしろかった』って、おもしろい!