世界中でいろいろな言語が飛び交っている。
日本にいると、人によっては
日本語以外を話す必要性を感じない人も多いだろうし
コトバを増やすとしても英語で充分と思う人も多いだろうなと思う。
日本は単言語国家だ。
その国で育てば、それが当たり前だと思いがちだけれど
世界全体を見ると、単言語国家というのは約3割しかないのだという。
ではあとの7割の国の言語事情はどうなっているのか。
聞くところによると、二言語国家は約1割。
たったの!
1割!!
あとの6割は3ヶ国語以上を話す、多言語国家だという。
そんなことに関して、おもしろい実例を聞いた。
例えば二言語国家の例として、カナダやベルギーがあげられる。
カナダは英語が話されている地域と、フランス語が話されている地域がある。
しかしその両方を、ネイティブとして自在に堪能に、話す人たちはあまりいないらしい。
(学校では教えている所もあるけどね)
同様にベルギーでも、地域によってフランス語とフラマン語(オランダ語)が
話されている地域が異なるというから、旅行に行くときは注意しないとね。
またよく聞く例が、転勤で英語圏に移り住んだ日本人の話。
子どもは現地での生活において、あっという間に英語を吸収する。
そしていつの間にか、その子にとって楽な言語は日本語より英語となっていく。
それは、彼らのまわりが英語に溢れているからだ。
最初のうちは喜んでいた両親も、だんだん子どもの中から
日本語が消えていってしまうことを恐れるようになるという。
こちら側とあちら側。
英語 vs フランス語
フランス語 vs フラマン語
英語 vs 日本語
言語が2つの場合、その国なり人なりの中で“対立”が起きているということだ。
一方三言語以上の多言語国家の場合。
その国の人たちは、そこで話されているどの言語にも普通に対応するという。
フランス語を話しながら遊んでいた子たちのところに
新たに来た友達がドイツ語で挨拶すれば、
子ども達の口から出る言葉はいっせいにドイツ語に変わる。
ルクセンブルク語で子どもと話していたお父さんに英語で話しかければ
ちゃんと英語で返ってくる。
そんな具合。
どの言葉も家や学校…ひいては街中に溢れているから
みんなが自然に多言語を習得していくという。
どうも、言葉が3言語以上になった途端、“ゆらぎ”が起こるらしい。
対立せずに共存する。
1の点が 2で線になり 3で面になる感じ。
そういえば、3本足があれば、椅子は作れる。
しかもガタつかない。
二次元から三次元になれば、空間構成も可能だ。
ここで、古代から伝わる『数秘術』の視点から見てみようと思う。
数秘術って何?という方に……
簡単に言うと、『数字にはそれぞれ意味がある』ということ。
生年月日から割り出した数字をもとに
その人の持つ本質や、得意分野、人生における課題なども導き出されたりもする。
まぁ、それは今は置いておいて。
「1」とは『はじまり』の数。
「1」という数字を見てわかるように、棒は1本では立つことができない。
だから『支える』『自立』なんていう意味もある。
また『唯一絶対の存在』『突き進む』なんていう意味も。
「2」は光と闇、善と悪のように、二元論を司る。
どれもひとつが生まれたことで対極が生まれる。
切手も切り離せず、優劣ではないが、それは『対立』を意味している。
そして、そこから『協力』や『協調』を覚えていくのが「2」。
「3」は三位一体を表している。
キリスト教からの言葉だけれど、無宗教の多い日本人にはあまり馴染みがない。
分かりやすく言うと対極のものから新たなものが生まれるということ。
“お父さんとお母さんから子どもが生まれる”と考えるとわかりやすい。
そこから「3」には『生産性』『創造』『変化』という意味が備わってくる。
このように数字の意味を追っていくと、
単言語国家、二言語国家、三言語以上の多言語国家でそれぞれ
起こっている人間と言葉の関係が、とても納得&理解しやすい。
1、2、3。
数字の持つ意味と言語の数。
この関係性、おもしろい。